[151]昭和の歌「明治一代女」
第151回
■昭和の歌「明治一代女」
『明治一代女』唄・新橋喜代三(しんばしきよみ)・・昭和10年
♪ 浮いた浮いたと浜町河岸に
浮かれ柳のはずかしや
人目しのんで小舟を出せば
すねた夜風が邪魔をする ♪
(ここで此の唄は次の「新内ながし」が入ります)
「巳之さん堪忍して下さい。騙すつもりじゃなかったけど、どうしてもあの人と別れられないこのお梅の気持、騙したんじゃない 騙したんじゃない・・・ァ 巳之さんお前さん何をするの 危ない!危ない!堪忍して か・・・ァ 巳之さん巳之さん あたしは大変なことをしてしまった」
此処で此の「新内流し」のセリフについて、少し説明しておきます。
此の曲「明治一代女」は、花井お梅事件(別名箱屋事件)と云って実話で、これを題材にして作家の川口松太郎が小説にしたものと云います。そして其の小説を元にして、藤田まさとが作詞したものと云います。
此の「花井お梅事件」と云うのは、美貌で勝ち気な芸者お梅は二十歳そこそこで待合いの女将になったのですが、名義人を父にしたばっかりに自分の待合いから閉め出されました。何とか店を取り戻そうと、かって自分が芸者時代に箱屋として使い、また待合いの使用人としても使っていた「峯吉」(唄では巳之吉)に相談しました。
しかし、峰吉はお梅に多大の恩義があるのに、欲に目がくらんで、父親の側に立ってお梅を逆に苛み、あろう事かお梅に関係を迫ったと云います。逆上したお梅は、峯吉を浜町河岸に追い、背中に出刃包丁を突き刺して殺害したと云います。峯吉殺しを父親に告げてからお梅は日本橋久松署に自首したと云うことです。
男尊女卑、家父長の時代ですから、もう少し早ければ首切り淺右衛門の時だったかも知れませんが、山田淺右衛門の斬首が行われたのは明治5年で其の最後の罪人は「高橋お伝」だったと云います。お梅は無期懲役になったそうですが、希代の毒婦と云うことになったそうです。
話を前に戻しまして「明治一代女」を唄った「新橋喜代三」について書かなければいけないのですが、沢山の唄を唄っている割には、其の経歴がハッキリしません。名鑑に載っていませんので断片的に分かっていることだけを記しておきます。
出身は沖縄県の西表島で明治36年に生まれたと云います。そして、大正5年に芸者に出ました。大正15年鹿児島で「小原節」の歌い手として名を上げ、昭和6年にレコードデビューしました。そして昭和9年、日本橋三越の鹿児島名産展での「鹿児島小原節」でヒットし、昭和10年に此の「明治一代女」で大ヒットしたのです。
映画にも出演し「丹下左膳余話・百万両の壺」などをこなして居ます。昭和12年に34歳で作曲家の中山晋平と結婚し、芸能界から引退しました。しかし、当時の写真を見ると、中々の美人でしたね。昭和38年死去し、多磨霊園の中山家の墓にご主人とともに眠っています。享年60歳でした。
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