[164]大相撲見物

2019年3月23日

第164回
■大相撲見物
「大相撲見物」と云っても、そういつも見物に行かれるものではありません。一度も親に連れて行って貰ったことはありません。当時の大相撲は一年に二場所しか開催されず、それに一場所13日間です。此の相撲の開催場所には、学校のお休みの時には、がぁがぁーとうるさい並四球のラジオにしがみつくようにJOAKの実況放送を聞いて、勝ち負けをメモすると云うのが日課でした。
明化小学校の同級生に「佐藤」と云うのがいました。家も近かったせいもありますが、学校が終わるといつも遊びに来ては相撲の話でした。彼の家にも遊びに行ったことがありましたが、いつも両親にあったことがありませんでした。いるのは何時もお婆さんだけでした。両親はいなかったようです。
ある時此の友達が相撲を見に行こうと云ったんです。「ええー」っとビックリしました。幾ら掛かるのかお金もないし・・と云ったら、「金なんていらないよ」って云うんです。でも相撲は見たいから付いて行ったんです。省線に乗って両国で降りたんです。すぐ前に両国の国技館がありました。屋根の丸い大きな建物です。どうして見るのかな・・と思っていたら裏の方に回ると、大きなカーテンで仕切ったところがあったんです。そしたら「佐藤」が後ろ向きにそのカーテンから入ろうとしました。
すると法被(はっぴ)姿のおじさんが「おい、坊やそんなところから出ちゃダメだ・入って入って」と却って場内に押し込められてしまったのです。まんまと只で入場出来たと云う訳です。
中に入ったはいいけど、自分の指定席はありませんから、土俵に通じる通路で、一番土俵に近いところに陣取って見物としました。初めて見た相撲の迫力にビックリしましたね。並の人間より大きな力士がぶつかり合い、投げ合うのですからね。
一階は桟敷席で六七人の人達が、飲みながら、弁当か仕出しのものをつっきながらの見物です。見上げれば丸い大天井ですが、三階までありました。そして周りには優勝力士の大きな額がずらりと掲げられていました。
昭和13年頃の両国国技館の相撲は春・夏の一年で二場所しか開催されませんでしたから、優勝力士も1年に二人ですから優勝掲額も少ないわけで、此の国技館が出来たのが明治40年ですから、ここで優勝した力士は最初から見ることが出来た訳です。
ですから一番古いのは明治42年に優勝した平幕の「高見山酉之助」で、明治43年は、横綱「常陸山谷右衛門」と大関「太刀山峰右衛門」、明治44年春は大関「太刀山峰右衛門」で夏は横綱「太刀山峰右衛門」・・というように昭和13年まで68枚の優勝掲額がずらりと二周に渡って掲げられていました。そして土俵には今と同じく櫓がありましたが、違うのは四本柱があったことです。座る場所によっては、柱の影になることもあって、見づらい事もあったようです。
僕らは子供ですから、まして自分の指定席もないわけですから、花道の土俵の直ぐそばで、隅っこのところで小さくなって見ていました。誰も何にも云いませんでした。ここを「砂かぶり」と云うんです。
法被姿の「呼び出し」が、土俵に上がって、扇子を広げ、美声で力士の呼び出しをするのですが、これも行司と同じように「位」があるようで、中入りからだんだんと「位」が高くなって、さすがに通る声で綺麗でした。名調子は呼び出し「小鐵」と云いましたかね?
又一番最後の取り組みには「木村庄之助」の「番数も取り進みましたるところ、方や鏡岩、方や双葉山、此の一番を以て本日の打ち止め」と云うセリフは現代までも変わりませんね。唯、違うのは当時は「横綱双葉山」が連勝中であったため、どうせ勝つに決まっている・・と言う見物人が多かったせいで、桟敷席のお客さんは見ないでぞろぞろと帰ってしまう始末でした。何しろ此の「双葉山」は昭和11年夏場所から連戦連勝の記録を作っていた最中の時でしたからね。
当時の力士はやはり子供達の人気は「横綱」でしょうね。現役は「第32代横綱 玉錦三右衛門」「第33代横綱 武蔵山 武」「第34代横綱 男女ノ川登三」「第35代横綱 双葉山定次」の四横綱でした。此の横綱のことに関しては、又項を改めて書きたいと思います。
国技館で相撲をタダで見物した後で、力士達が出てくる出口で待っていると、浴衣がけの力士が続々と出てきました。みんな大きいのでビックリしました。中でも「出羽ヶ嶽」・・背が高くて腹は出ていませんが、40貫もある巨漢です。此の「出羽ヶ嶽」は人気者で、出てくると女性ファンが黄色い声で「文ちゃん」と声を掛けていました。当時の相撲取りは40貫と云えば、一番大きく重い力士であったと思いますが、40貫は現在では150Kgぐらいですから、あまり大きいとは云えませんね。
又「磐石」と云う力士は、凄い太鼓腹で、自分の子供ですかね、軽々と抱いて歩いて来ました。何しろ初めて見たわけですからビックリ仰天の連続でした。家に帰っても親には内緒でしたよ・・・。