[31]蝉とり
第31回
■蝉とり
この頃の子供達は「ガリ勉」なんて云う子は殆どいなかったようです。小学校を出て、上の高等小学校を二年行って大抵の子は終わりです。中学・高校・大学予科・大学・・と進める子供は親の経済的の理由で殆ど行かれないのが実情でした。ですから学校から帰ると鞄を置いて直ぐに自然界に飛び出します。此の時間は三時間くらいです。夕方家に帰れば家の仕事が待って居るからです。
外に出れば大きな木がある林もあれば、木が一本もない草原のような原っぱが至る所にありました。東京の中にですよ。お母さんが注意することと云えば「必ず帽子をかぶりなさい」と云うことだけです。
子供達は目の色を変えて「蝉」を追いかけます。大きな木に止まる「蝉」は高いところに止まるので、モチ竿や捕虫網が届きません。すると子供は木登りを始めるんです。登ってる間に「蝉」は大抵飛んで逃げて行ってしまいますけどね。だけど登ったついでに、木に成っている物を頂いちゃうこともあるんですね。柿とか蜜柑とか・・柿の木は直ぐに折れるから、隣の木から手が届けばの話ですが・・・・。
春も終わりに近づいた頃、最初に夏が近づいて来たぞ・・と知らせてくれるのが「春蝉」でした。これは小さな体でしたし、又鳴く期間も少なかったせいか、なかなか見つける事も出来なかったし、捕まえる事も出来なかったような気がします。当時でも一般的ではなかった「蝉」です。
そして六月に入ると「ニイニイ蝉」が出てきます。そして「チッチチッチ」と可愛い声で鳴き始めます。此の蝉は体調5?6cm位であまり大きくはなく、羽は茶に黄色っぽい縞模様の羽で,透き通ってはいない保護色の蝉です。鳴くときはお尻を振るわせるように鳴きます。あまり敏感ではなく、直ぐに手でも捕まえることが出来ます。それに比較的に小さな背の低い木に止まります。
七月に入ると今度は「油蝉」の世界です。此の蝉は数も多く、鳴き声も大きく、昼の真っ盛りには五月蠅いくらいに鳴きます。逃げ足も速く、側に寄るとション便を引っかけて逃げるんです。此の蝉はニイニイ蝉を一回り大きくしたような蝉で、体から頭まで真っ黒で、羽は茶で黄色っぽい線の網目模様で、羽は透きとおっていない。ごくありふれた蝉でした。
夏の日差しの盛んな頃此の「油蝉」と共に鳴き叫んでいた蝉は「ミンミン蝉」です。此の蝉は油蝉と違って比較的大きな木の高い所で、しかも細い枝に止まりますからなかなか見つかりません。ですが鳴き始めると 「ミーンミーン」とすごく大きな声で鳴きますし、又終わるときも鳴き方が違って来ますから直ぐに分かりますが、鳴き終えると飛んで場所を変えるので追いかけるのが大変です。
声も綺麗な蝉ですが、体も緑色に黒い線の縞模様で、羽は透きとおったものでした。大きさは油蝉と同じくらいです。鳴き始める時は他の蝉と違って、体の下半分を大きく動かして鳴くので、子供達は捕虫網をかざして夢中になって追いかけましたが、小さい子には無理でした。
八月も終わりに近づくとき、そろそろ秋を告げるように 「ツクツクボウシ」が出て来ます。此の蝉は小型ですが細い体でスマートです。鳴き声も大きくなく「オーシツクツク オーシツクツク」と可愛いらしい声で鳴きます。これが鳴き病む頃には秋も段々深まって行く感じです。
そして九月が近づいて来る頃、夕日が赤く沈みかける頃、何処か遠くの方から「ヒグラシ」が「カナ カナ カナ」と鳴いてもう夏も終わりだよ・・と告げてくれます。此の蝉は「ツクツクボーシ」を少し太らせたような形で、体は黒っぽい緑で、羽は透きとおった綺麗な蝉でした。
♪夕焼け小やけで日が暮れて・・・烏と一緒に帰りましょ♪・・なんて云う唱歌と同じ情景で、子供達も捕虫網を担いで、手には小さな虫籠を持ってみんな仲良く家に帰ったものです。
関東には以上の七種類の「蝉」しかいなかった様ですが、関西から沖縄方面にはもっと大型の「熊蝉」がいたようです。体は黒く、羽は透きとおっていたようですが、標本でしか見たことはありませんでした。
子供の頃、近所の雑木林に朝歩いていたとき「蝉」の孵化を見たことがありました。大抵はあちこちに抜け殻はありましたが地中から這い上がって、木の1mくらいまで来て止まったのを見たのは初めてでした。
そして観察していると、暫くして背中が割れ出したのです。するとそこから「蝉」の頭が少しづつ出てきました。そして体の半分が出終わったとき、なんと背中からひっくり返って、その抜け殻にちゃんと止まったのです。だけどまだ羽が縮まったママです。暫くすると羽が伸び始めました。完全に伸びきるまでには10分くらいかかったでしょうか? その蝉は羽が透きとおっていて、体の色は緑色していましたから「ミンミン蝉」でしょう。牡か牝かは分かりません。ご存じの通り、蝉は牡鹿鳴きません。
夕方になって蝉が鳴きやむ頃、牡の廻りには沢山の牝蝉が集まっているのを見かけます。やがて牝蝉は卵を木肌に産卵します。産卵が終わると、そのまま木から落ちて、暫くバタバタしていますが、もう飛べませんし一生を終えます。そして今度は蟻が集まってきて、黒山の蟻です。
産卵された蝉の卵は、卵からかえると木を伝って地中に潜ります。そして十数年の長い間地中で生活します。そして先程お話したように、やっと地上に出てくるんです。そして僅か1週間しか生きられないのです。その1週間の間に一生懸命子孫を残す努力をしてるのです。そう言うことを知らない子供達は、目の色を変えて追いかけ回しますが、そしれでもちゃんと子孫を残して来たのです。我々人間にとっては季節を知らせてくれる風物詩だったのですが、次に書く「トンボ」と同じく、折角地上に出てきても生活する木も無くなりました。悲しいことです。
最近は異常な暑さが続きますが、全然「蝉」の声が聞こえなくなりました。木が無くなったばかりでなく、開発とかの名目で地中も掘り返している状態は、地中で生活していた幼虫までも殺してしまつたのではないでしょうか? こんなに自然破壊して良いんでしょうかねぇ・・寂しいことです。
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