今日はちょっと視点を変えて、歩行者の立場からコラムを書いてみたいと思います。楽しくクルマを運転するには、歩行者の立場抜きには考えられないと思うからです。
普段何気なくクルマで走っていると気がつきませんが、たまに色々なところをブラリ歩いてみると、日本の道路事情はクルマ優先に作られていることがわかります。
まず、歩道橋。これは一体何のためにあるのでしょう?道路があるのに、横切るな。横切りたかったら上を跨げ、というのでしょうか。いかにも乱暴な理論です。身障者や車椅子の人、年配の人のことを考えたら、これはもう向う側には行くな、と言ってるようなものです。
京都のとある場所ではこんなこともありました。歩道橋があるのに誰も利用せず、道路を横断するものが後を絶たなかった。そのため死亡事故が多発したため、当局はその歩道橋を撤去し、横断歩道を作ったといいます。周辺住民の高齢化が進んでいて、足腰が弱ってきた人に歩道橋を渡れと言うほうが無理な話だったというわけ。
クルマが無い時代はみんな道路を歩いていたはずです。そこにクルマという物騒なものが登場し、道路を我が物顔で走り去る。道路自体も昔は土を固めたものあるいは砂利を敷いただけのものであった筈ですが、それではクルマが走りづらいのでアスファルトなるもので固めてしまったのです。
暑いさなか、アスファルトの道路の表面は60℃以上にもなります。犬や猫が歩いていなのは当たり前ですね。また、このアスファルト道路というのは歩いていても全く楽しくない。アスファルトのわずかな割れ目から健気に生えている雑草の逞しさが印象的です。
ところで歩行者優先の考え方も生まれてきています。歩行者が一斉に道路を渡れるスクランブル交差点ができたのは、かなり前になりますが、歩行者優先の考え方のこのような交差点に設置される信号を分離信号といいます。
分離信号とは、交差点の歩行者信号が青のとき、横断歩道へクルマが入れないようにする信号のことをいいます。クルマ用の信号がすべて赤になり、歩行者が縦、横、斜めどちらへでも渡れるスクランブル方式のほか、歩行者用が青のときにはクルマの右左折を禁止する、などの方法をいいます。
これに対し、人とクルマを同時に流す信号のことを「非分離信号」といいます。歩行者を巻き込む右左折事故が多発する原因はこの非分離信号にあるとされます。
銀座の大通りなど日曜日は歩行者天国大道芸人などが大勢繰り出して楽しい。しかし、道路を歩く上ではいつも歩行者が天国であるべきなのに、わずか日曜の数時間が天国というのもなんとなく悲しい感じがします。
これからのクルマを取り巻く環境はかなり厳しく、道路事情にしても予算面でもかなり厳しいものがあると思いますが、できるだけ歩行者優先の考え方で進めていってほしいものです。それが、クルマと人とがうまく共存できる方法だと考えるからです。私もクルマが好きでこういうコラムを書いていますが、ハンドルを握る前に、人間として、まず街を気持ちよく歩きたいと思います。