【第33回】在宅系老人ホームの実態(第2回)~自宅は何処?~

2019年3月21日

連休明けの辛い一週間がやっと終わった。不順な天候が続いているので、体調をくずす高齢者も多い。一人風邪をひくと、抵抗力が低下している方々なので、ていねいにドミノ方式に皆様が風邪をひき、現場はてんてこ舞いになる。辻本も連休中に馬鹿も引かぬ風邪を引き、高齢者に感染してしまったら一大事なので、休暇をとったぐらいである。

前回の94歳のSさんの個室の話から続けることにしよう。

Sさんが病院に社会的入院が長かったことはお話したと思うが、仏壇(亡くなったご主人のもの)などはむろん、自宅に置いてきたままである。個室はけして狭くはないが、家具は一切入れてない。小さな冷蔵庫の上に小型のテレビが載せてあり、あとは床頭台 だけである。ギャッジのベッドの下にはプラスチックの衣装ケースが2つ。これが全てである。

Sさんは終日パジャマのまま、ベッドにほとんど横になり、テレビをみている。不思議な雰囲気を感じさせた第一の要因は、何故Sさんは終日パジャマでいるのであろうかという疑問であった。とくだん、身体の調子が急性に悪いわけでも医療的処置が必要でもないし。ましてやそこはショートスティの本来在宅サービスを提供する生活施設なのでパジャマで終日過ごすという発想にそもそも違和感がある。片麻痺の方で、ズボンの上げ下げでボタンがたいへんなので、ジャジーやスウェットの上下を着て終日すごしている高齢者は確かにいるがSさんは手をひかないと足元はやや危ういが歩行も可で麻痺もまったくない。

また、一日中寝たままというのがおかしい。ショートスティでお預かりした高齢者は、昼間は館内のデイサービスへ通所してもらう形をとってもらっている。介護の基本としてまず朝の洗面と着替えと整髪、髭剃りなどは生活のメリハリや習慣を維持していくために必ず必要なケアというふうに教科書で習ってきた若いケア職員はたいがい違和感を持ってしまう。Sさん本人が確かに着替えたがらない、しんどがる、デイサービスを拒否するというのは事実である。しかし7年間の社会的入院の悪い習慣をなんとかだれかが断ち切らないと思ったのである。

デイサービスのお風呂の時間に、入浴にデイサービスルームにいかなければおそらくSさんが居室を出ることはまったく無い状況をだれもが不思議に思いながら、ご本人のご希望だからといってそのままにしているのも少しおかしな感じがする。Sさんは私からみればADL(日常生活自立度)は他のショートスティの利用者さんに比べてよく保たれている。認知症もほとんどない。なぜパジャマとベッド上の生活に固守するのかというと、自分が保護されたい、大切に気にかけてほしいというメッセージを表現しているものと受け取っている。介護よりも看護に近い対応を望んでいることは食事を胃が悪い、入れ歯があわないからという理由でミキサー食にしておられることからも推測される。簡単にいうとかまってもらいたい症候群である。孤独な不安を抱えたSさんなりの自己表現をどうとらえるかは、人それぞれだが、かまってもらいたい症候群の方には、私はあえて頻繁にうっとおしいと思われるくらい、出入りし、関わることにしている。さらに共通していえることは、こういう方は昼間うとうとされているので、夜の不眠を訴える方が多い。

ショートスティは、短期入所サービスとも言われ、原則的には一週間をイメージした制度である。介護する家族の休養や冠婚葬祭などにお泊りでお預かりするというのがそもそもの趣旨である。在宅で介護する配偶者やお嫁さんを支援するためのサービスともいえるが、現実は入所に踏み込めない、かといって24時間自宅で介護するのはかなりの負担で無理に近い方、要介護状態になったが子供がなく身寄りがない方で施設入所は嫌がる方の一時的緊急避難の宿泊施設になっている。まさに在宅系のサービスでは中途半端な使い方をされている施設である。当然半年も1年も居ついてしまっている高齢者が多い。考えてみれば90歳を超える高齢者の息子や娘は健在でも65歳を超えている方だったりするケースがとても多い。つまり高齢者が高齢者の介護する状況である。「私どもも身体の具合があちこち悪くて医者通いなんで、とてもおじいちゃんやおばあちゃんの面倒はみれない。」という言葉には本音がよく表れているに違いない。

さてSさんのように本来はまだまだ充実した日常生活が送れる能力のある方が病院の生活スタイルになぜ固執するのかをときあかしていかないとただ、パジャマから洋服に朝着替えをする、部屋から付き添いながら、屋外に連れ出し、散歩をする。などの試みは形から提供してもなかなか本人自身がやる気になれなければ効果があがってこないと思う。ショートスティのお部屋はホテルに近い仕様になっているのがかえってよくないように思われる。仏壇や家具を持ち込むと近所の人々はやれやれ施設にはいってくれたか、火の不始末で火事とかは防げたと胸をなでおろすが「半分だけしか着るものはもってきていないから寒くなったら家にとりにいかないとね。」という言葉には、わたしはここにお泊りにきているけど、本当の自宅はほかにあってここはあくまでも仮の住まいなのよっていうような意味が込められているわけである。

次回は帰宅願望という話をしてみることにする。お楽しみに。

2006.05.27