[114]利用者に敬語を使う理由

2018年8月25日

前回ペーパーワークについていろんな話をしたのを覚えているだろうか?現代介護の特徴としてとにかくペーパーワークの増加が挙げられるが、それは介護の質の低下と記録の質の低下をもたらしていると書いた。今回は前回では言及できなかったペーパーワークの別の一面について語りたい。
現代介護の記録物を読んでいると否が応でも目に入ってくるものがある。それはあまりにも過剰で大げさな独善性のために読んでいて時に吐き気を催すこともある。例えばこんな具合だ。
「血圧測定をさせて頂こうとするが拒否される。また体調が悪く食堂に来れないため、朝食を召し上がられない。一日通して不穏でおられる」
読んでみると、すぐにあまりにも回りくどく冗長で読みづらいことが分かるだろう。ちなみにこの文章には少なくとも4ヶ所敬語と日本語の誤用が見られる。現代介護になってから、このような文章が増えた。敬語と使った文章を書きながら誤用しているのは相手に対する侮辱もいいところだが、書いている本人に悪気がないのが性質が悪い。
敬語を使うのも利用者に見せることを前提としたケアプランや契約書などの類のペーパーワークなら止むを得ない。しかし、業務日誌や介護記録などは見せることを前提としていないはずだ。勿論最近は利用者やその家族が介護記録の閲覧を希望する場合もある。しかし、それでも介護記録や業務日誌は敬語で書くべきではない。それはあくまでも介護記録が事実を客観的に直視して、何が起きたのか後で分析するものだからだ。
敬語は客観性から程遠いものだ。
俺がこの世界に入った当時は記録の書き方についてこんな原則を教育された。
(1)現在形で書く
(2)事実のみを書く。主観的な判断はしてはいけない
例(我がままを言う→~と言う)
(3)敬語は使わない
昔は記録物はあくまでも事実を客観的にまとめるために存在したが、今の記録物は全く違う。今の介護記録は敬語のインフレーション状態だ。しかも上の例文のように間違った敬語を使っているのだから馬鹿馬鹿しい。俺はどうして介護記録に敬語を使うのかヘルパーたちに聞いてみたことがある。
「そりゃ、お年寄りや利用者には敬意を表すのが当然ではないですか」
絵に描いたような優等生発言だが、俺はここに当人たちの差別意識を感じてしまう。 そもそも高齢者だと言う理由で尊敬しなければならないとは何なのか?尊敬を強要しなければ差別意識を隠せないと言っているのと同じではないか。わざわざ客観的であるべき介護記録にまで字数を増やして敬語で書くのはそれだけ利用者の事を軽蔑しきっていることの表れだ。障害者や高齢者を差別している自分の醜い姿に贖罪符を与えるために敬語で無理に介護記録を書こうとするのだ。
醜い二重基準だがこの態度にはまた別の弊害がある。記録物の目的は客観的に行ってきた介護や事実を見直すことにあるが、敬語で記録を書くとそれが困難になってしまう。職員に自分の醜いエゴや差別心を自省させる自己啓発の機会を阻止して、ネガティブなことから目を反らす現実逃避を助けてしまうのだ。
俺は敬語で記録を書くこと自体反対だが、それでもなお敬語を使って記録を書かせたがる頑固施設が殆どだろう。だが、それならそれで間違った敬語が氾濫している現状はどう考えるのだろうか?よく言葉遣いの指導などは聞くが、正しい日本語として敬語の使い方を教育する施設や事業所は全く耳にしたことがない。間違った敬語で利用者に文章を提出するなど、それこそまさしく文字通りの慇懃無礼ではないのか?結局彼らの「高齢者には敬語を使うべき」と言う主張は所詮口だけの偽善なのだ。もしくは介護業界は無教養な人間ばかりで敬語の誤りに気付かないのだろう。
前に言ったことがあるが、俺は元々日本語教師を志望していたことがある。そのため、日本語の誤りには敏感なところがある。上の間違った敬語の例文だが、正しい敬語と日本語の使い方を教えておく。福祉のテーマからは離れてしまうが、最低限の社会的人間としての教養を身につけるのもいい介護士の資質だと思ってほしい。
「血圧測定をさせて頂こうとするが」
これは最近よく聞かれるパターンだ。「さ入れ言葉」と勘違いされるが少し違う。「~させて頂く」とは元々誰かから頼まれて、その要望に答える時に言うものだ。この場合、この利用者が「血圧測定してほしい」と要望すれば間違いではない。しかし、相手が何も要望していないのに「させて頂く」と言うのは押しつけがましく聞こえる。「扉を閉めさせて頂く」「司会を務めさせて頂く」と言うのも同じ類の誤りだ。
「食堂に来れない」
これはいわゆる「ら抜き言葉」だ。ら抜き言葉は可能の意味をもつ「~られる」(食べられる、見られるなど)から「ら」だけを抜いた表現だ。文法上は誤りだが、もう「ら抜き言葉」は日本社会に定着していて誤りとまでは言えないかもしれない。現に60代を中心とした前期高齢者の中にも「ら抜き言葉」を抵抗なく使う人も多い。だが、高齢者施設に勤めるなら「ら抜き言葉」ぐらいは分かっていてほしい。
「朝食を召し上がられない」
これは二重敬語。「召し上がる」だけで尊敬語なのにさらに尊敬の助動詞「~られる」を付け足している。よくテレビでも皇室関係を語る時によく耳にすることが多い。丁寧な印象を与えられるかもしれないが、尊敬語は二重に使っても美しくないばかりか単なる無礼だ。
「不穏でおられる」
これは本当にタレントや政治家ばかりかプロのはずの雑誌ライターにも多い。「~でおられる」の「おる」は「いる」の謙譲語だ。自分をへりくだって言う謙譲語に「られる」と付けても尊敬の意味はない。よく電話でも「~さんおられますか?」など言う人は実に多いが、あまりにも醜悪なので止めた方がいい。
正しい文章
「血圧測定を行おうとするが拒否される。また体調が悪く食堂に来られないため、朝食を召し上がらない。一日通して不穏でいらっしゃる」
音読してみたら分かるが、間違った文章よりも自然で美しいはずだ。美しく日本語を使うことが正しい日本語への近道なのだ。
エル・ドマドール
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