[115]認知症シリーズ(8)エセ認知症

2018年8月25日

今回は再び認知症について語りたいと思う。偏見や差別はこの業界では珍しい事ではないが、その中で認知症に対する誤解や偏見は少なくない。認知症がどのようなものかは以前に定義を述べた事がある。それは「器質的疾患による脳機能の低下」だった。だが、嘆かわしいことに、福祉関係者や専門家でさえ認知症とそれに似ている症状を混同しているケースは少なくない。
例えばよく中高年者が自身の衰えを気にしてこんな言葉を言うのを聞いたことがあるだろう。「私も最近年のせいかな?忘れっぽくて・・・病院の予約が何時だっ たのか思い出せないことがあるのよねぇ。ボケたのもかもしれないわ」
中高年者からこのような愚痴が聞かれることは多いが、実を言うとこれはいかにまだ世間に認知症と言うものが正しく理解されていないかわかる好例とも言える。上のケースははっきり言ってしまうと単なる「物忘れ」(良性健忘)だ。ここで俺は言っておきたいが、社会の人々は良くも知らないでちょっとした物忘れをすぐに認知症に結び付けたがる。だが、認知症と単なる良性健忘は全く似て非なるものだ。それは近眼を遠視と間違えるようなものだ。どちらも矯正が必要かもしれないが、症状は全く正反対だ。世間で認知症という言葉を知らない人は珍しいが、きちんと定義や症状を語れる人はまずいない。今回は良性健忘と本当の認知症はどこが違うのかそれを教えよう。
そもそも「忘れっぽくて・・・」と自分が物忘れしやすい自覚症状があるならまずは大丈夫だ。認知症の場合は自分が忘れやすい事すら認識が難しい。そして良性健忘の場合はヒントを与えられると思い出せる事が多い。例えば貴方が86年のワールドカップ優勝チームを忘れてしまったとする。そこでヒントを与えてみよう。その年のワールドカップで大活躍したのはマラドーナ。神の手ゴールや5人抜きなどで大活躍だった。そしてそのマラドーナがいたチームは・・・・アルゼンチン。そう86年のワールドカップ優勝はアルゼンチンと思い出せるだろう。
しかし、認知症の場合はヒントを与えても思い出せない事が多い。また上の例では病院の予約の時間を忘れているが、認知症の場合は病院の予約をしたこと自体を忘れてしまうだろう。いずれにしても認知症の場合と単なる良性健忘の最大の違いは日常生活に支障が出ているかどうかだ。最近料理や洗濯を失敗するようになった。服を収納した場所が分からない、または服を出し散らかすことが増えた。ごみが散乱しており、掃除ができていない。車を運転していて、逆走など危険な目に遭うことが増えた・・・・以前にはできていたことができなくなっている時に認知症だと疑うべきなのだ。
先ほども語ったが認知症という言葉は比較的世間では知られている方だが、実を言うとこれほど歪曲されて誤解されているものはない。そもそも認知症と言われる前は痴呆と言われていたのだ。そして痴呆の前はボケと呼んでいたのだ。どうして呼び方が変わったのか?痴呆やボケでは与える印象が偏見を招くと言う理由でだ。俺もこのメルマガでは便宜上、認知症と書いているが、実に下らない。結局認知症と呼ぶようになっても相変わらず認知症への正しい理解は痴呆やボケと呼んでいた時代と比べても殆ど進歩していないではないか。認知症に対する偏見は「認知症になりたくない」という恐怖や不安がそうさせているところがある。しかし、前にも語ったが高齢者だからと言って誰もが認知症になるわけでもない。65歳以上の高齢者で認知症の人はせいぜい1割ぐらい。そもそも認知症になれるぐらいの高齢化社会は今までの歴史上でも、これ以上ないぐらいある意味恵まれたものだと言っておく。
今回は認知症とは似ても似つかないものがいかに認知症と思われやすいかを書いた。次回はその逆、認知症なのに認知症と診断されていないケースを語ろう。
エル・ドマドール
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