[68]障害受容(3)
今回も引き続いて障害受容をテーマにしたい。もうお分かりだと思うが障害受容はかなり難しい。実行するのも難しいが、その内容についてもあまりよくわかっていない部分が大きい。福祉関係者は気軽に「障害受容ができていない」などとたやすく口にするが、実を言うと福祉関係者ほどその重みも内容も実感していない事が多い。しかも偏見に毒されている人が実に多い。このメールマガジンではできるだけその内容について解りやすく解説していきたい。
今回は障害受容についての誤解や偏見に語ろう。
ケース1「障害受容は中途障害者に必要で、生まれつきの障害者は障害があるのが当たり前だから受け入れられている」
認知症、パーキンソン病、脳血管障害など、健常者だった人が障害を持つと障害受容に大きな課題を持つことは確かに多い。その反面、生まれつきの障害者、つまり知的障害、脳性麻痺、ろうあ者など先天性が高い障害は受容に苦しむことがないというという理論がそれだ。だがこれはでたらめだ。
障害受容に苦しむ事は誰にでも起こりえる。先天的な障害を持っている人にも同じように障害受容が必要な人は多い。脳性麻痺や自閉症など先天的な障害者も大きくなって物心がつくようになると周りの人々と自分がどこか違うという違和感を自覚し始める。重度の知的障害があり言葉で表現が難しくても鋭い感性で違和感を察知し始める。この「違和感」こそまさに彼らを苦しめるものだ。
このメールマガジンの読者諸兄が「普通」という言葉を聞くとおそらくそれは「五体満足な健常者」をイメージする人が大部分だろう。しかし、彼らにとってはどこか障害があるのが「普通」なのだ。しかも良いか悪いかは別にして世の中のルールは健常者に都合の良いように出来ている。理不尽なようだが健常者中心の世の中であることを受け入れ、健常者が作ったルールに従わなくてはならないのだ。しかし、多くの先天性障害者の課題はまず自分が一体何者なのかというアイデンティティーの確立だろう。他の人の言う「普通」と自分の持つ「普通」は何が違うのか?障害を持つ自分は一体他の人と何が違うのか?ある意味、中途障害者よりも先天性障害者の方が障害受容がはるかに難しいのだ。
ケース2「障害の受容はある程度年数が経てば自然に出来るものだ」
もう前号でも語っているように障害受容は簡単に出来るものではない。一生自分の障害と和解することが出来ない人だっている。というよりも死ぬまで障害受容できない人の方が大多数なのだ。そしてこのケースには大きな問題が見過ごされている。実を言うと何をもって障害受容できているか出来ていないかは判断するのがとても難しい。障害を受け入れて、円熟の境地に入っているように見える人でも心の奥底では障害受容していないこともある。人間の心理は複雑極まりないのだ。
ケース3「障害者スポーツや仕事などでやりがいを見出せば障害受容できる」
障害者スポーツや仕事などで社会的役割(やりがい)を獲得できれば障害受容の助けになるのではないかという理論だが、確かに一理はある。自分自身が熱中できる仕事やスポーツなどの社会的役割は無いよりもあった方がベターではある。しかし、全てそれで障害受容できるかと言えばノーと言わざるを得ない。現に一般企業や役所で働いたり、パラリンピックに出るほどの障害者でも自分自身の障害受容には不安的なことが少なくない。俺が直接関わった障害者の中にはこんな事をいう人もいた。
「もう練習しても無駄じゃないか。練習して何になるんだ!!パラリンピックで金メダルを取っても、動かない右手が動くようになるわけじゃない!」
俺はこの台詞が未だに忘れられない。この言葉には障害者の苦悩と無力感がどれほど深いものか感じさせるリアリティがある。障害受容はスポーツや仕事で解決できるほど単純ではないのだ。前にも述べたが傷害受容できない人々に共通しているのは自分の障害と向き合わない現実逃避行動なのである。障害受容には自分自身と向き合い、自問自答して自分は何の為に生きるのかという哲学的な要素が欠かせない。それらの自問自答を避け、スポーツや仕事に逃げ込んでいる人は多いのだ。
ケース4「周りの家族や福祉関係者の関わり方で障害受容を進めることができる」
これもよく言われていることだ。確かに周りの人間の存在が障害受容に影響を与えることはある。前号でも述べたように障害者の問題のある言動をきちんと注意できないと障害受容に悪影響を及ぼす。だが、きちんと注意が出来て障害者との人間的な絆を築いてもそれで必ず障害受容が出来るかというとそれは違うと言わざるを得ない。障害受容には己との内省が必要でこれは自分自身にしか出来ない。周りの人間が何をしても何の影響を与えることが出来ない事も大いに有り得るのだ。だが、それは別に誰かに責任があるわけではない。世の中には出来る事、出来ない事がある。それだけなのだ。
福祉関係者は困ったことに世の中には出来ないことがあるということを認めようとしない人々が多い。元々理想主義的発想の持ち主が多く、独りよがりの万能感を振り回すのが大好きなのだ。だが世の中から犯罪やテロが無くならない様にどれだけ努力しても他人の言動を変えることは困難なのだ。
エル・ドマドール
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