マイノリティ

 新緑の季節のゴールデン・ウィーク、冬の疲れを癒し、新年度に入り緊張の続いた人にとっては気分転換の期間でもあります。マスコミも一斉にゴールデン・ウィークの過ごし方を報じます。確かに大多数の人にとっては休日かも知れませんが、この期間通常どおりに仕事をしている人たちも勤労者の何割かはいるはずで、逆にゴールデン・ウィークが稼ぎ時という人もいるはずです。あたかも国中が連休であるかのような錯覚、この現象は何なのでしょう。

 ヨーロッパ在住の有名な日本人女性ピアニストが言いました。「日本では大多数が優先されます。私のような人間には住みにくい所です。」出る杭は打たれる、と昔から言われる風土のせいか、芸術家、学者、専門職など海外へ活躍の場を求め成功する人がどんどん増えています。日本にいると大多数、マジョリティの人が正常であり、そうではない人、マイノリティは異常、時には悪や恥とさえ思われることがあります。

 私は小学生の時に父が亡くなって以来、25才までは祖父と母の変則3人家族でした。高齢者のいる母子家庭という社会的弱者であるマイノリティです。特に進学、就職、縁談と人生の節目を迎えるたびに常識を疑うような心ないことを言う人たちにたくさん出合ってきました。たぶん自分は経験したことがないのでこちらが感じるほど悪気はないのだろう、と今では思えるものの、なぜ本人の努力で変えることができない境遇に対し非難や侮蔑の目で見られなければいけないのか理不尽でたまりませんでした。

 それに比べ「総合職への道」はまだ簡単でした。私は単に良い仕事がしたかっただけなのに「いい子ぶりっこ」だの、「女性の生きかたとしては誤りである」などとさまざまな人からご批判をいただく日が何年も続きましたが、、性差別の撤廃という先進国の流れやバブル経済による労働力不足が世論を変えてくれたからです。思想的には晴れてマイナーからメジャーとなりましたが、数の上ではマイノリティであるため、まだ問題はいろいろあると思います。

 自宅へセールスの人がやって来ると「奥さんですか?」と聞かれます。独身なので「違います。」と答えると相手はしばらく絶句しています。お嬢さんと呼ぶには年をとり過ぎているし、お手伝いさんではなさそうだし…近所は40代、50代の独身女性だらけですのでこの人にとっては良い社会勉強になるだろうと私は内心にやっとします。

 一家心中、餓死、いじめによる殺人といった弱者のマイノリティの悲劇を耳にするたび、なぜ周囲にせめて一人でも救ってあげようとする人はいなかったのかと悔しい思いでいっぱいになります。最近急増している幼児虐待も少子化により子どもがマイノリティになりつつあるからかも知れません。昔のように子どもの多かった時代は弱者であっても数でその存在感をアピールできたからです。

 戦後の多数決民主主義の勘違いや一律教育、「皆で渡ればこわくない」といった風土が「標準」「平均」像へ合わせようとする意識となり、マイノリティをはじき出すことで安堵感を覚えるというのならこんな恐ろしい国はありません。長引く不況により心がいっそう貧しくならないことを祈ります。

2001.05.04

河口容子