変わりゆく日本、国際人として生きる

 今週で100号を迎えました。連載を始めた頃はここまで続けさせてもらえるとは想像もしませんでした。この場をお借りして、ご購読いただいている読者の皆様、そしてホームページや社内媒体などで広くご紹介くださった方々、また発行管理人のデジタルたまごやさんに厚く御礼申しあげます。

 連載を始めた動機としては、書くのが好きなことに加え、人生も半世紀近く生きてきて、また大企業のサラリーマンから零細企業の経営者として新しい人生をスタートしたばかりであり、少しは自分の意見や経験を世間にご披露しても失礼にはあたらないのではないか、という所にありました。

 そして、ニュースを自分の身近な視点でエッセイにすること、つまり自分なりにニュースをどう受け止めるか、どう考えるかを読んでいただくことにより、通りいっぺんにニュースを聞き流すのではなく、時代を映す鏡としてより真剣にとらえ、ひとりひとりが少しでも意識改革をすることにより日本もいい方向に変わっていくことを願っておりました。

 「なし崩し的」という言葉がよく使われるようになりましたが、少しずつの変化はなかなか気づきません。変化の積み重ねの結果、ある日とんでもない事態に陥って初めて取り返しのないことに気づくのです。たとえば、私が大学を卒業した1976年は大変な就職難で就職ができず自殺をした人までいました。それが今ではフリーターが職業欄にまで現れ、不況だから採用が少ない、就職できなくても不思議ではない、そのうち正社員として生きるだけが人生ではない、パラサイトできる人はハッピーというような考え方がすりかえ現象として起こっています。精神的には救われる面もありましょうが、根本的には経済、政治、教育、家庭すべての在り様にかかわる問題ではないでしょうか。

 スタートした時に設定したキーワード、雇用、リストラ、就職難、家庭崩壊、企業の不祥事、いずれを取ってみても数年前まではドラマにもなかったような事件が連発し、テレビが家庭に送りこむ痛ましい画像の積み重ねが日本人の心から毎日毎日何かを奪っていくような気がしてなりません。誰もが持っている美しい心、強い心の片鱗でもしっかりと無くさないようにしたいものです。

 そんな日常の中で、ますますウェイトが高くなってきたのが「世界の中の日本」という意識です。貿易の仕事に携わって26年になりますが、最近は国内商売一筋だった方でもほとんどが海外生産や海外市場に関心を持っておられます。また、海外とは全く関係なかった中高年の方でもキャリアや技能を買われ海外
の企業に就職をされるケースも耳にするようになりました。
 そこで101号からはリニューアルをして、「誰でもなれる国際人」というタイトルに改めさせていただき、国際社会と日本および日本人について、もう少し実用的な観点から考えたいと思っています。特にこれから初めて海外とかかわりあいを持つ方にはヒントになればうれしく思います。また、すでにバリバリの国際人の方々からもご自分の体験談に基づいたご意見などどんどんお寄せいただくことを期待しております。引き続き、おつきあいをしていただければ大変うれしく思います。

2002.09.05

河口容子