[026]宗教の話

 よく話題として取り上げてはいけないものに「宗教」というテーマがあります。ところが、外国人にいきなり「日本の宗教は何か」と聞かれて困ったことがしばしばあります。特にイスラエル人、マレーシア人、インドネシア人などに聞かれると、ご承知のとおり、ユダヤ教やイスラム教の生活習慣で世の中がまわっているだけに「日本ではほとんどの人が無宗教です。」と答えればいい加減な国民のように思われそうです。苦し紛れに「仏教の人が多いです。」と答えてもそれは葬儀を仏式で行う人が多いだけに過ぎず、結婚式はキリスト教、お正月には神社に初詣という混合パターンが、何の不思議もなく行われているのが日本です。中には「葬儀はキリスト教、結婚式は仏式でやるのが逆パターンで経済的なんです。」と説く人までいます。


 私自身は何教の信者でもありませんが、「宗教」の存在そのものに関心があり、大学はカトリックでしたので「宗教学」という講義をたくさん受けることができました。宗教を比較するというアプローチのしかたもありますし、歴史的にとらえることもあります。また、典礼学という儀式やお作法からのアプローチもあります。
 とかく傲慢になりがちな人間を戒め、時には悲しみや怒りを和らげる手段、また集団生活を送る上でのルールとして宗教は必然性があったのだと思いますが、何か日本人は戦後、宗教を危険なもののように扱ってきたような気がします。おそらく、戦後処理として政教分離に見られるような、そして靖国問題に見られるような「国家神道」的なカラーの排除の影響と思われます。また、何事も極端にふれる日本での左翼的思想の流行、特に日教組による学校教育での影響も大きかったのではないでしょうか。
 すでに始まってしまった米英軍とイラク軍による戦争ですが、キリスト教とイスラム教との戦いというのはどうも彼らのDNAに脈々と受け継がれているような気がしてなりません。自分のために何かを信じるのは自由で、信じるものがある方が精神的には楽だったり、強くなれると思うのですが、それが強くなると排他性を生みます。十字軍のみならず、歴史上そして今も宗教による戦いは多々ありますが、これは日本人にはとうてい理解できない心境でしょう。
 日本人の無宗教は、グローバル化にはとても貢献しています。どこの国でも抵抗なく受け入れてもらえるからです。また、こちらも宗教色の強い国に行ってもとことん仲良くなれるかは別としてニュートラルな立場で日々送ることができます。あるイスラエルのダイヤモンド商がぽつりと言いました。「宗教で差別されないから日本に来るのは好きだ。安心していられる。」と。
河口容子