[048]サインの効果

 先々週、マレーシアに関するセミナーに出かけた話を書きましたが、半月ほどたってマレーシア通産省のロゴの入った封筒が郵送されて来ました。封を切ると中身はセミナーの出席のお礼状で最後にラフィダ・アジズ大臣のサインがありました。何という完璧さ。出席者全員にこのレターを出したとすれば彼女は 600通以上にサインしたことになります。そしてサインは判読できないこともあり、サインの下に氏名や肩書きが打ち込まれていることが多いのですが、氏名のみで通産大臣の肩書きは入れてありませんでした。「もう1回会ったのだからわかるわよね。」と言わんばかりのレター、彼女が講演で言ったごとくマレーシア人のフレンドリーさがうかがわれました。
 最近の日本ではセミナーの出席者に対するフォローアップどころか、展示会で商談までしたのになしのつぶての企業すらあります。忘れた頃にお礼状をもらっても儀礼的な印刷物だけではインパクトがありません。書状はトップの名前で書かれていたりしますが、担当の人が機械的に出しており、当のご本人は出状されている事すら知らないケースもあることでしょう。ここが印刷と肉筆のサインの重みの違いです。本人だけしか書けないたった 1行の違い。日本には印鑑がありますが、本人が押したという証拠はありません。オフィスでは代わりの人が押すこともありますし、上司のシャチハタを部下が常時預かっていることすらあります。


  6月にインドネシアに行ったときのことです。ジャカルタのホテルの部屋には支配人から手書きの添え書きをしたメッセージ・カードが置かれていました。お世辞にも上手とは言えない字ですが、「どうぞゆっくりおくつろぎ下さい。」というようなことが3-4行にわたって書いてありサインが添えられていました。最近は文面は印刷でもサインだけは肉筆でするところがふえているような気がします。実はこのホテルには到着日に 1泊しただけで、荷物を一部預け、他都市に移動、 3日後に戻って来たのですが、今度は「お帰りなさい。ジャカルタの我が家へ。」というような出だしの手書きのメッセージがついていました。印刷だけだとゴミ箱行きとなるのですが、手書きのメッセージつきは捨てるにしのびず旅の記念に日本まで持って帰りました。
 関係者がそれぞれ寄せ書き風にサインをしているクリスマス・カードを海外からもらうことがあります。ふだんメールのやり取りだけでまだ見ぬ人であっても短いサインだけでその人の人柄にふれたような気分にさせてくれます。最近はインターネットのおかげで手軽に凝った eカードが出せるようになりましたが私にとっては手書きのサインにまさるものはありません。 契約書にしても和文のものは名前を印刷したりゴム印をおして、代表取締役印というのをいかにきれいに押すかに終始してしまいますが、英文のそれは仕事がうまくいくようにと念をこめ、「責任」の二文字が頭の中をぐるぐる飛びまわる中サインをしてしまいます。これもサインの持つ効果でしょう。
河口容子