今年の 3月16日号に「アセアンから始まる春」というテーマで書かせていただいたのですが、ここのところ私の周囲はアセアンづいて、2004年 9月18日号「アセアン横丁の人々」風に続編を書いてみようと思います。まずは先週取り上げた BIMP-EAGAのセミナーでは、主催者の国際機関の部長をしているブルネイ人女性とまず挨拶。彼女はブルネイの政府機関からの出向ですが、 7人いるお子さんのうち 3人とメイドを帯同して東京に駐在しています。何とこの 3人は人も羨む某有名私立高のインターナショナルスクールに通っていますが、この春からひとり某有名私大に通うことになったとか。「まあ、優秀なお子様なんですね。」と言うとにやっと笑い、「下の二人はどうしようかしらね。」と普通の母親の顔に戻りました。
このセミナーでは、マレーシア工業開発庁の東京所長ともばったり。華人ですが、先日オフィスをお訪ねしたばかりです。「その後中小企業開発庁からは連絡がありましたか?」「ラマダン明けの休暇が終わり、オフィスに戻ったとの連絡がありただけです。」同所長は中小企業開発庁の反応の遅さに一瞬困った顔をし、コーヒー・ブレイクのコーナーでサラワク州の州計画局の局長を紹介してくれました。「こちらはミス・カワグチ、えーとファースト・ネームはヨーコでしたよね?」所長は実に素晴らしい記憶力の持ち主です。
セミナーの週には、家具の国際見本市もありました。 9月にベトナムでお世話になった政府機関の担当者がベトナム・ミッションを引き連れてやって来ました。ベトナムのコーナーにお客さんが多かったので上機嫌です。 9月の思い出話やベトナムも原油高で物価が上がったとか、座りこんでえんえんと話してしまいました。彼はまだ若いのですが、ずっと日本語でビジネス関係の雑談ができるほどの達人です。もちろん英語も堪能です。私がいくら頑張っても「こんにちは」と「ありがとう」しかベトナム語を覚えられないのとは大違いです。
ブルネイからは20代の政府機関職員が来日していました。こちらも昨年、私が同国でセミナーを行なったときお世話になりました。最終日に終了証をひとりひとり私から渡すのですが、大柄な彼女がかわいらしい色合いの民族服に眼鏡をかけ修了証を銀色のトレイにのせて私の横にかしこまって立っていたのが印象に残っています。私のターコイズ・ブルーのコートを見て「わぁ、すごい色」「青空みたいでしょう?」私はブルネイの青空を思い出しました。「じゃ、私はすごい曇り空。」彼女は自分のチャコール・グレーのジャケットを見下ろして笑いました。食品展のときにもいらしていたわね。」「今は日本の担当をしているんです。いつも同じ顔ばかりでごめんなさい。」「じゃあ、日本の専門家だから、講演もできるわね。」「そのうち、できたらいいですね。」と彼女はうれしそうに歩いて行きました。
私のある取引先は製品の70-80%を現在中国生産(契約工場)に頼っているのですが、 2-3年以内にベトナム生産に切り替えたいということでベトナムの商社と商談を開始しました。中国とは一味違った取り組みができるかも知れません。もうひとつの取引先は私の紹介したフィリピンのバッグ・メーカーで製品を作ろうとしています。こちらも中国に間接投資をした工場を持っているのですが、アセアンのメーカーも押さえておきたいようです。このフィリピンのメーカーを日本の展示会にデビューさせたのは私です。オーナーの奥さんが自分でデザインもするのですが、 2年ほど挑戦して落選、私が工房を視察に行った時はたしか 3度目の挑戦で、今回落ちるともう応募もできない、と不安そうな顔をしていたのを覚えています。努力のあとがうかがわれる商品をたくさん見せてもらいました。情にほだされたわけではないのですが、彼女を日本に呼んでもっと勉強させてあげたいと心のどこかで思ったのも事実です。
河口容子