[302]北京オリンピック開会式を見て

 毎年10%台の経済成長を続ける中国です。やっかみ半分かも知れませんが、北京オリンピックまでは高成長も持たないだろうという噂は数年前からありました。そしてチベット問題、聖火リレーへの妨害行動、四川大地震、食の安全問題、爆破テロ、ものものしい警戒体制、大気汚染問題、北京市民の光と影など、それはパンドラの箱をあけたような大騒ぎの末、つつがなく圧倒的な迫力を見せつけて北京オリンピックの開会式が行われました。
 私の周りのビジネスマンたちに感想を聞くと異口同音に「お金をかけたね。」開会式の構成には賛否両論あるようですが、私はお金をかけすぎたゆえに「重くてくどい」と感じました。今はライトな感覚の時代ですから古くさい。仕事の途中で開会式を見てしまったおかげで夜中の 3時を過ぎても仕事が終わらなかったせいで余計そう感じたのかも知れません。
 まず、あの9万人を収容する鳥の巣スタジアム。出入りだけでも相当時間がかかりそうですし、双眼鏡どころか望遠鏡でも持って行かなければ観客しか見えないのではないでしょうか。そして、あの千人単位のマス・ゲーム。蒸し暑い中、重い衣装をまとい、あるいは箱の中に入って、機械のように動く人間たち。これまでの練習はただごとではないと思いました。少数民族の衣装を着た子供たちが国家に忠誠を誓って国歌を歌うシーンでは思わずぞっとしました。国家の威信にかけて国民を制御するぞ、といわんばかりです。
 衣装はインターナショナルなデザイナーの石岡暎子さんだそうです。私はそのことを後で知ったのですが、色合いといい、シルエットといい、日本人のデザインに違いないと即思いました。スペクタクル史劇かオペラの衣装のようです。外国人、特に西洋文明から見た中国のイメージ。なぜ、中国の昔のままのデザインではいけないのでしょう?西洋の先進国に馬鹿にされるとでも思ったのでしょうか。特に文化面においては「アジアはアジアらしく」が私には心地よく思えます。
 あの絵巻物アトラクションを見れば見るほど、孔子の教え、筆、火薬の発明、西洋より先に大航海時代を迎えるなど文化や科学技術に優れ、かつて日本の先生であった国が、長く眠れる獅子の時代を経て、やっと経済大国の仲間入りをしつつあるものの、どうしてお粗末な問題が多すぎるのか情けなくなります。
 開会式のかわいらしい少女の歌は「口パク」で他の少女の声であったことや巨人の足跡の形の花火の放映は昔の映像を使った、というようなニュースが後から聞こえて来ました。別に演出効果としては悪い事とは決めつけられませんが、フェアプレーのスポーツの祭典には後味の悪いものとなりました。
 比較するかのように思い出したのが1998年の長野の冬季オリンピックの開会式です。善光寺の鐘とともに御柱、関取衆も紋付袴で各国の行進に加わりました。圧巻は世界のマエストロ小沢征爾がタクトを振る 5大陸一斉のベートーベンの第九。どれもこれも日本の文化の代表であり、肩肘張ることなく人間の温もりを感じる演目ばかりでした。これはバブル崩壊後とはいえ先進国、経済大国日本だったからこそ追求できたシンプルさかも知れないと今改めて感じます。
河口容子
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