先日ハノイ市への投資セミナーが開催され、在日ベトナム大使の講演がありました。2008年 7月 3日「ベトナムを襲う経済不安」で触れたように急成長と世界的な原料高により異様なインフレが進み、通貨、株式、不動産の急落とアジア通貨危機の再来の懸念さえありました。
大使の講演では政府のとった方策として
(1)金融の引き締め(政策金利の引き上げ、預金準備率の引き上げ)
(2)財政支出10%削減(公共事業の縮小、凍結、延期、歳出削減)
(3)生産、輸出の促進(輸出税の引き下げ)
(4)輸入の管理
(5)物価の安定(生活必需品と公共料金の据え置き)
(6)証券市場の安定(違法行為の取り締まり)
(7)福祉の確保(特に弱者への支援)
(8)情報公開による国民の信頼確保
を説明されました。ベトナムのトップの方には詳細かつ率直なお話をされる方が多く、つい親近感を覚え思わずエールを送りたくなります。これらの政策が功を奏し、 IMF、世銀、アジア開銀などは経済危機ではない、政策の効果も出てきていると評価をしています。
私自身が感じるのは、ベトナムは産油国でありながら製油所がなく(シンガポールで精製)従って石化プラントもない、製鉄所もありません。よって産業の基盤となる素材はすべて輸入に依存せねばなりません。原料高の直撃を受け、貿易赤字も膨らむという構造になっています。それでも 7パーセント台の経済成長を維持し続けた、海外からの投資が増え続けたというのは、周辺諸国に比べ政治の安定性、地政学的な優位性、国民性に優れているからとしか言いようがありません。また、チャイナ・リスクのおかげもあります。発展途上国にインフレはつきものですし、急成長すれば必ず途中で修正局面はあり、中長期的に見れば問題はないと私は考えています。目先の損得だけで動く人はそれだけリスクも大きい、これは当然のことです。
大使によれば「日本は敗戦で焼け野原になったが50年で世界第 2位の経済大国になった。これは人材育成に力を入れたからである。ベトナムも人材育成に力を入れたい。」とおっしゃいました。在日ベトナム人留学生 3,000人。研修生、実習生として日本で働くベトナム人 1万 7千人。このセミナーでも隣に座ったのが日本で働くベトナム人男性。男性の場合はスーツを着ると日本人となかなか見分けのつかない方が多く、女性の場合はメイクのしかたや服の着方が違うのか案外すぐ見分けがつくのが不思議です。
8月にはハノイが隣のハテイ省などを併合し新しい大きなハノイ市となりました。その面積は3,346km2で東京都の約 1.6倍、世界で17位の都市に生まれ変わりました。 GDP成長率は何と12%です。2010年の「ハノイ遷都1000年」を前にこじんまりとした政治の街から南のホーチミン市に匹敵する大都市としての体裁を整えようということでしょう。百人一首で有名な奈良時代の唐の留学生である阿倍仲麻呂がハノイに任官していたのは 760-767年だそうでハノイが遷都される前ということになります。古都であり、旧宗主国フランスや共産主義の先生である旧ソ連といったヨーロッパの香りもする小さな都市ハノイが好きでした。また、私の初めての講演はハテイ省で行いましたので心情的にはハノイもハテイもそのままであってほしいという気持ちが強いのですが、こんな個々人のちっぽけな感傷を飲みこみながらどんどん拡大していくのが今のベトナムのようです。
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河口容子
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