[084]契約のマナー

 国際化に伴い、契約という概念は非常に重要になっています。ところが元来日本人は信頼関係という「感覚」に頼る部分も多く、契約を締結すること自体にアレルギーを持つ人すらまだ見受けられます。契約書の作成は双方(時には 3者もありますが)の初めて行う共同作業、その過程で「正体見たり」ということもしばしばです。通常は、一緒に仕事をすることになれば条件面の話しあいがなされます。そして、それを書面にして確認するために契約書を作成します。契約書は片方が原案を提示し、相手が納得すればめでたく調印となるわけです。
 原案については、どちらが作ってもかまいませんが、総合商社など慣れているほうが作るか、支払う側が作るほうが作るケースが多いでしょう。なぜ支払う側かというと、社内の支払基準や税務処理上のチェックなどをした上で作成できるので、完成度の高い原稿となるからです。
 相手から原稿を見せてもらったら、不審な点、変更してほしい条件があればすみやかに申し出て、必要があれば話しあいを行います。変更点が決まれば原稿を作った方が訂正を行います。原稿を作成するのは面倒ですが、自分に不利な契約を作成する人はいないので、作成をする側にまわったほうが交渉のリーダーシップを握ると言えます。
 私自身は、権利と義務の関係のバランスの取れた契約になっているか、こんな事が起きたら、あんな事態に陥ったらとリスク・マネジメントを考えながら法的に再チェックするためにも契約書の作成を好んでやります。また、相手が契約に慣れていないと思えば、原稿に説明を添付してお渡しするようにし、疑問や変更点があれば遠慮なく言っていただくように申し添えます。
 ある日本企業と業務委託契約を締結することになり、慣れているし支払う側でもありましたので私が原稿を作ることになりました。説明をつけて相手に提示しても何の連絡もありません。時々催促をしたものの、やれ忙しいだの体調が悪かっただの、という返事しか返ってきません。 1ケ月半たって、いきなり自分の側で作った契約書が送られてきました。すでにその会社の判は押されていますので、これに判を押せということでしょう。業務内容については相談もなくほとんど削除され、何ら責任も取らないが、支払はしてほしい、という内容のものでした。ほとんど贈与の世界です。

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[048]サインの効果

 先々週、マレーシアに関するセミナーに出かけた話を書きましたが、半月ほどたってマレーシア通産省のロゴの入った封筒が郵送されて来ました。封を切ると中身はセミナーの出席のお礼状で最後にラフィダ・アジズ大臣のサインがありました。何という完璧さ。出席者全員にこのレターを出したとすれば彼女は 600通以上にサインしたことになります。そしてサインは判読できないこともあり、サインの下に氏名や肩書きが打ち込まれていることが多いのですが、氏名のみで通産大臣の肩書きは入れてありませんでした。「もう1回会ったのだからわかるわよね。」と言わんばかりのレター、彼女が講演で言ったごとくマレーシア人のフレンドリーさがうかがわれました。
 最近の日本ではセミナーの出席者に対するフォローアップどころか、展示会で商談までしたのになしのつぶての企業すらあります。忘れた頃にお礼状をもらっても儀礼的な印刷物だけではインパクトがありません。書状はトップの名前で書かれていたりしますが、担当の人が機械的に出しており、当のご本人は出状されている事すら知らないケースもあることでしょう。ここが印刷と肉筆のサインの重みの違いです。本人だけしか書けないたった 1行の違い。日本には印鑑がありますが、本人が押したという証拠はありません。オフィスでは代わりの人が押すこともありますし、上司のシャチハタを部下が常時預かっていることすらあります。

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