2006年 5月25日号「アセアンがくれる LOHASな暮らし」で取り上げた展示会の商談会がありました。アセアン諸国から出展者が一同に集まり日本の企業と商談を行なうためです。私は現在ベトナムでの雑貨づくりをお手伝いしている企業の社長をお誘いしました。この企業の商品は和のテイストを取り入れたものが多いのですが、同じアジアの文化には和の文化と共感する部分はありますし、健康や癒しといったテーマを得意としていることから参考にしていただけるのではないかと思ったからです。
社長の目にとまったのは、カンボジアのクッションでした。表地は日本のかすりの着物を想い起こさせるような手織りの絹。外繭を使うため糸の太さが均一でないところに独特の風合いがあります。(内繭を使うと信じられないほど細やかな絹織物になります。)クッションの中味は天然の綿がぎっしり詰められ、キルティングのように格子状にしっかりと縫ってあります。天然綿をぎっしり詰めてあるせいか座ってみるとお尻が沈みこまないので背筋がしゃんとします。伝わってくる気合が粗製濫造の工業製品との違いです。
「私も大好きでプレゼントによく使っています。」と説明をしてくれたのは、このカンボジア企業に勤務している日本人女性です。彼女はもう7年カンボジアに住んでおり、もともとは遺跡の研究者でした。カンボジアの文化に魅せられ販売の仕事に就きました。この企業は従業員が 1,000人おり、もともとは政府が貧しい人の救済のために始めた事業だそうです。民営化した今では、豪華リゾートホテルやフランスのお城の内装も行なっているそうです。カンボジアは暑い時期は45度を越えます。また、「後発途上国」に指定されている世界で最も貧しい国のひとつです。そのような環境の中でおそらく辛いことも何度もあったと想像しますが、少しずつ夢を紡いでいるような印象を受けました。商談ではカンボジア人のスタッフもまじえ英語で話してくれた彼女ですが、スタッフにあざやかなクメール語で指示をしていた姿に日本女性の持つ芯の強さやしなやかさを感じました。
さて、同行の日本企業の社長からは周囲を見回して「ずいぶん西洋人の出展者も多いのですね。」と質問。カンボジアは内戦で未亡人となった女性、地雷で身障者となった方々をサポートするために現地に住んで技術指導や自立を助ける活動を行なっている西洋人がたくさんいると説明したところ、「素敵な商品の数々、大変参考になりました。将来的には、このようなメーカーと、コラボレーションして、社会貢献という視点からの企業活動も考えてみたいと感じました。」とおっしゃいました。この社長の夢も日本でのものづくりが、中国、そしてベトナムもとグローバル化をとげ、社会貢献へと糸が紡がれつつあります。
実は私の香港のパートナーも中国の貴州省で少数民族の文化保護の NPO活動を行なっています。貴州省は少数民族が多く中国の中でも最貧省です。ビジネスインフラが悪いために資金源となるビジネスを起すのが難しく本人は「お金をつぎ込むばかり」と苦笑いですが、何とか他の事業で利益を出してあげようといつしか私もパートナーの夢紡ぎのサポーターになっています。
河口容子
[192]夢よ深く、志よ高く
世の中はワールドカップ一色に染まり、重要なニュースも影が薄くなっている昨今です。世界一のプレイヤー、ブラジルチームのロナウジーニョのインタビューで印象に残る言葉がありました。「時として現実は想像を超える」というものです。サッカー選手を夢見た貧しい少年の夢がかなっただけではなく、子どものとき想像もできなかったような大きな存在にいつしかなっていたという事です。
比較するには恥ずかしいですが、私も起業した頃の夢は総合商社で長年つちかった経験や知識を思いはあってもチャンスや人材がない中小企業に利用していただけないものだろうか、その仕事を通じて開発途上国の経済発展に貢献できたらというものでした。香港やシンガポールにビジネス・パートナーができる、海外で講演を行なう、国内外の政府機関の仕事をさせていただくなど、まったくの想定外でした。まさにロナウジーニョの言葉通りです。
久しぶりにビジネス・ライターの友人から電話がかかってきました。私のエッセイを読んでいるうちに国際人になれたという人がいると書いてあった通り(2004年10月22日号「あの時のひとこと」)いよいよ彼女もそうなったと言うのです。別にそれはエッセイのせいではなく、読者の意識の高まりの結果であり、また国際化の波はあらゆる所にひたひたと押し寄せているとも言えます。
彼女の仕事を手伝ってもらった Zさんというアフリカ女性が、日本人と離婚し、生活保護を受け、自暴自棄になっているのを救おうと彼女は Zさんが得意な歌や踊りを披露する場づくりをボランティアで始めました。ところが、 Zさんは父親が英国の名門大学の教授で彼女自身もその大学の卒業生、米国での生活経験もあるという才媛のお嬢様であるにもかかわらず、約束は守らない、電話にも出ない、お世話になっている NPOの方々への感謝も忘れる、当然サポートをしている彼女の面目も丸つぶれといったありさまでした。
最近私が子ども向けのミュージカルのさわりを見て感動したのは「夢を持とう」「自分の夢をかなえるより友達の夢をかなえてあげよう」というテーマでしたので彼女の行為を素晴らしいと思いました。ところが、彼女は「 Zさんの歌や踊りは夢でないことがわかった。夢なら人間は死に物狂いで頑張れるはずだから。」と。 Zさんには失望したものの、彼女は Zさんをサポートしようとする彼女をまた支えてくれている仲間たちがいることに気付きました。誰か一人が夢を見たら、損得勘定ぬきの夢支援ネットワークができることを。だから本気で夢を見なければいけないと。
私の仕事は「クライアントの夢をかなえること」です。クライアントの夢がかなえば私も良い仕事をしたことになります。普通はクライアントのニーズに応えるだけなのに、夢をかなえるという志の高さが良い仕事の原動力だと彼女は持ち上げてくれました。JRのCMで流れる「Ambitious Japan!」と車体に書かれたAmbitious の文字を見て、「のぞみ」が志であることに気づきました。それまでは単に「希望」というような意味にとらえていました。いのちの「ひかり」(ヨハネの福音書)から「のぞみ」(志)へと進化していくあたりはJRのネーミングにはなかなか奥深いものがあります。
ライブドアや村上ファンドにあったのは手段を選ばないお金儲けであり、深い夢も高い志もなかった事をようやく人々はわかり始めました。ワールドカップで日本チームが快進撃という事前の大袈裟な報道もどうやら本気の夢ではなかったようです。ましてや自分は夢を探せないから、あるいは夢の実現のために努力できないから、とりあえずジーコジャパンを応援しよう、なんてとんでもない話です。夢は深く、志は高く持ちましょう。自分のためにも、そして応援してくれる誰かのためにも。さらに誰かの夢をかなえてあげる事も尊い人間の姿です。
河口容子