この原稿を書いている 5月10日時点での新型インフルエンザの WHOの警戒レベルは 5です。とうとう日本でも水際対策で感染者が発見されました。
2003年のSARSの時成田の検疫体制はどうだったかと言うとサーモグラフィーは置いてあるものの誰も見ていない、という状況でした。私は東南アジアへ国際機関の仕事で出かけたのですが、シンガポールでもマニラでもきちんと熱をはかっていました。マニラでは検査の待ち時間の間旅客を少しでもリラックスさせようとディキシーランド・ジャズバンドが傍で演奏をし続けてくれていました。ブルネイでは王様の一言でSARS発生国への渡航および経由すら禁止となり、直行便のない日本へはSARS発生国を経由せざるを得ず会議にも来ることができないと政府機関の職員がぼやいていました。
友人の商社マンたちなど海外出張の多い人たちから一番危ないのは「成田」というのがいつしか定説になっていたほどです。日本人の香港や中国への渡航の見合わせは指示されても香港人や中国人は入国して来ます。その実、私も香港人と商談を行い、お土産に月餅をたくさんいただきました。さすがに他人におすそわけしても困るだろうと思い毎日2-3個ずつ食べて続けて太ってしまったのが私のSARS二次災害でした。
日本ではSARSもその後の鳥インフルエンザにしても感染者はいないことになっていますが、私の周辺では医療関係者も含め「それはいるでしょう。」というのが大方の見方です。自宅に帰ってから発症した場合、本人が懸念を話さない限り一般の病院やクリニックではSARSや鳥インフルエンザと診断されることはまずないからです。
ベトナムでひどい下痢と嘔吐に見舞われたことがあります。ちょうと仕事が終わってからで良かったものの17時間ほとんど水も飲めず首や手足に水を含ませたタオルをあて脱水を防ぎながら、ハノイからホーチミン乗り換えで成田にへろへろと一人でたどり着いた経験があります。当時母が病気で風邪のウイルスさえ入れると失明するかも知れないという状態でしたので、感染症だったら隔離してもらわなければと成田の検疫に行ったのですが、「水か油が合わなかっただけ。あとはストレス。」とせせら笑われ、無情に追い返されました。こんな状態でもリムジン・バスに乗り、そこから電車、駅から徒歩で荷物を引きずりながら帰った私のメンタルの強さには本人もあきれるばかりです。
私がよく出かける東南アジア諸国は帰国時成田の検疫での健康状態に関する質問状(イエロー・カード)の対象国です。インドネシアではデング熱が発生していたこともあるし、ベトナムでは狂犬病も注意しなければなりません。SARS禍以来、海外出張時は医療用のマスクを持っていきますし、機内で眠る際は必ず着用しています。喉が乾燥するのも防げます。また、薄手の軍手も素手で触れない場合にと持って行きます。殺菌スプレーや消毒薬、抗菌目薬なども必携アイテムです。また、持っていった物はすべて丸洗いか殺菌スプレーで消毒して天日干し、お土産などは一番外側のラッピングは即廃棄、というのを帰ってすぐやります。夜中に到着の場合は翌朝までテラスに放置して家の中には持ち込みません。
20数年お世話になっている内科の先生が理事長を務めておられる高齢者専門の病院がありますが、入院患者は90歳台がほとんどにもかかわらず、この冬インフルエンザ患者はゼロでした。患者にワクチン接種を義務づけたのと、お見舞客全員にうがいと手洗いを強制した効果があがったようです。この「全員徹底」が防疫にはまず必要だと改めて知らされた良い例です。
河口容子
[333]サクラ
「ところでサクラはどうですか?そろそろ咲く頃ではないかと思うのだけれど。恥ずかしながらまだ日本でサクラを見たことがないんです。乗り物の中から散ったのを見たのが1度あるだけ。」と香港のクライアントである D氏からメールが来ました。「うちの周辺は桜がたくさんあるんですよ。咲いたら写真を送りますから、もうちょっと待っていてくださいね。」と私。「恥ずかしながら」というあたりは「日本通」であることを強調したかったのでしょう。その実、私が覚えている限り、外国人ビジネスマンの中で「チェリー・ブロッサム」ではなく、はっきりと「サクラ」と呼んだのは彼が初めてです。
2009年 4月 9日号「桜の季節」で触れたように日本人にとって桜は格別なものですが、外国人ビジネスマンたちも桜の咲く頃に出張をしたいという夢を持っているようです。ところが日本企業の多くは4月に新年度を迎え、組織変更や人事異動に忙しく、桜の季節に海外からの出張客を受け入れる余裕がなく、桜と外国人にまつわる思い出は案外ありません。
一番喜んでもらったのは会社員の頃米国法人の男性スタッフが日本に研修にやって来た時、昼休みにお弁当を持って数人でお花見に行ったときの事です。「東京のど真ん中にこんなにたくさん緑と花があるなんて」と驚き、「人生で最高のもてなし」であると言ってくれました。記念に写真も撮ったのですが、今でも皆の笑顔が桜に負けないくらい輝いて見えます。
もうひとつの思い出はこれも会社員の頃ですが、やはり米国法人の女性の部長が香港の国際会議に出席する途中東京に立ち寄り、二人で仕事が終わってからおでんを食べに行く途中見た夜桜です。散る寸前の桜でしたが彼女に見せられて良かったと言うと「これでも十分きれいだわ。桜を見ることができて良かった。ありがとう。」この2日後また二人は香港で再会し、この世の終わりかと思うほどの雷雨に見舞われました。夜桜と雷雨、この落差が忘れ難いものとなっています。
海外で見る桜も私を元気づけてくれます。初めて海外出張したのは3月ごろで米国とイギリスへ行きました。スタート地点のニューヨークでは雪も降り、ひどい風邪をひいてしまい、頭がふらふらのまま3週間ほど地球を半周するはめになりました。途中のワシントンDCのポトマック河畔の桜はまだつぼみすらつけておらず寒さに耐えている姿は咳が止まらず夜もよく眠れない私を勇気づけてくれているかのようでした。サンフランシスコのゴールデンゲートパークでは桜が咲いており毛皮のコートを着たまま思わずホットドッグでお花見をしましたし、最後のロンドンではハイドパークを車で通りがかった際ぽつんと桜らしきものを見つけ、思いがけないプレゼントをもらったような気分になりました。そして帰国時には満開の桜が私を出迎えてくれました。
北半球に分布するサクラは 800品種程度あるそうで、サクラという植物名はなく、古くはヤマザクラ、現在はソメイヨシノを指すそうです。ソメイヨシノは戦後たくさん植林されましたが、寿命は60年ほどと言われています。枯れて伐採される桜の古木を最近見かけるようになりました。日本人にとって春を告げる花、思い出の花を絶やしたくないものです。
河口容子
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