[275]輸入依存と基本動作

 私が勤務していた総合商社では社内の報告・連絡・相談・決裁のルール、取引先に接する方法、与信管理やクレームの処理など基礎的なものは「基本動作」と呼ばれ、この基本動作が自然にできるようになって初めて「一人前」でした。この基本動作は経験を重ねなければ習得できません。また、経験豊富な上司や先輩が部下や後輩にノウハウを伝えていくことも非常に大切です。
 日本中を恐怖に陥れた「農薬入り餃子」事件ですが、日本の行政、輸入者も含め危機意識がなく、基本動作がお粗末な気がします。このニュースを聞いた時、餃子の中味に入っている野菜の残留農薬で重篤な症状に陥る確率はまず低いと直感しました。1つの餃子に入っている野菜の量は微々たるものだからです。また、私自身途上国のさまざまな工場を訪問したことがありますが、大手の工場は最新の設備を持ち、衛生基準のマニュアルもきちんと整備されており、日本の古い工場が恥ずかしいほどです。また、きちんとした工場でない限り日本の大手メーカーは契約を結ばないはずです。要はルール通り製造されていれば農薬の混入は考えにくいのです。餃子そのものだけではなく、梱包剤の製造と保管に問題がなかったか調べたのでしょうか。
 当初私が疑ったのは故意の犯罪です。中国のメーカーの労使関係のトラブルから中国側で何者かが嫌がらせにメタミドホスを注入したのではないかという説もありますが、日本で誰かが注入した可能性が絶対ないとは言えません。メタミドホスは日本では流通していないというのを理由とすれば、オウムによるサリン事件もあり得なかったことになります。残念ながら日本には毒物による事件が多く、古くは森永ヒ素ミルク事件、江崎グリコ・丸大ハム・森永乳業・ハウス食品を標的とした毒物入り製品による脅迫事件などもありました。製造元を調査すると同時にこうした殺人未遂事件としての可能性を最初からどうしてもっと精査しないのか不思議です。
 中国産のほうれん草の残留農薬報道以来、私自身は生鮮野菜は国産しか買いません。冷凍食品も原産国を全部チェックします。ただ、中国製と書いてあっても日本の大手ブランドの製品なら信じて買うのが消費者心理ではないでしょうか。ブランドのブランドたるゆえんは「品質の良さと安全性」にあります。中国の提携工場に任せきりではなく、もっとキメ細やかなチェック体制があっても良いと思います。そうでなければ、単に利益追求、それも中国との経済格差をそっくりそのまま自社の利益としているだけに過ぎません。これは冷凍食品のみならず他の中国製品にもいえることです。
 私の周辺では「中国で作らせる」「中国に発注してあげる」というような表現を当たり前のように使う日本のビジネスパースンたちがいますが、どうして「中国で作ってもらう」「中国から買わせていただく」という発想はないのでしょう。二極分化の時代に入り、年収 200万円以下の勤労者が増えても、貯蓄ゼロの世帯が増えても何とか暮らしていけるのは安価な中国製品のおかげもあります。
 「いったい私たちの暮らしにはどのくらい輸入製品があるのかしら」という呑気な中年主婦の方がいらっしゃいました。私の答えは「一般家庭なら90%でしょう。それどころか輸入しなければ電気もガスも使えませんよ。あなたの自動車も走りませんよ。」日々の生活をほとんど輸入に委ねるということは安全保障の面からは大きなリスクであるという認識を日本人全体が持つべきだと思います。
(本原稿は2008年2月4日午前までの情報を元に書かれています。)
河口容子
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[271]年賀状は文化

 家庭では年々クリスマスのデコレーションが華やかになるのに比べ、伝統的なお正月風景はどんどん失われていきます。今はお正月でなくてもきれいな服装、おいしい食べ物などに取り囲まれているので「楽しみに待つ価値」が減ったのかも知れません。そんなライフスタイルの変化の中でインターネットの発達で存亡が危ないと一時思われた年賀状が意外と残っているのはなぜでしょうか。新聞によれば元旦に配達された年賀状は20億枚とか、平均すると国民の 1人 1人が20枚弱ずつの年賀状を受け取る勘定になります。
 2004年12月16日号「季節の挨拶」でも年賀状の良さについて触れましたが、年賀状は日本独特の文化になっていると思います。昔の年始まわり、つまり新年の挨拶にお宅を訪問するかわりに年賀状を使うようになったのが始まりで、お年玉つき年賀はがきが発売されたのは1949年ということですから戦後の長い平和が育んだ文化ともいえます。お年玉つき年賀はがきが通信手段としての本来の機能をはたすと同時に「くじ」になっていて、宝くじのように買った人が当たるのではなく、もらった人が当たるシステムも「福のプレゼント」として長続きしている理由だと思います。
 各国の季節の挨拶状(クリスマス、新年、旧正月など)と比べての大きな違いは「はがき」という形式です。はがきは差出人にとって費やす時間も費用もミニマムですみます。企業の広告を兼ねたものから家族写真入りのプライベートなものまではがき 1面に実にさまざまなメッセージをこめることが可能です。また、受取人にとってもはがきゆえに家族や職場で回覧することができるという利便性は封書であるカードに比べて非常にメリットがあります。サイズが定形であるためそのまま保存して住所録がわりにしている方も多いことでしょう。元旦に配達できるよう年末に出状したものを郵便局がプールしておいてくれるのもユニークなサービスといえます。
 年末に「あけましておめでとう」と書くのは嘘っぽくてただの虚礼にすぎないという方がいらっしゃいますが、これは差出人側からの一方的な発想にすぎず、受取人がお正月に挨拶を受けられるように事前に準備をするという配慮と考えればまったく不思議ではないと私は思います。
 私のような年齢になると年賀状だけのおつきあいの方がふえます。20数年前の上司、先輩、数回しかお会いしたことがない方など、お互いに几帳面な性格なのかえんえんと年賀状の交換が続いています。70代、80代になられている方も多くお元気で毎年私の事を思い出してくださることを大変ありがたく、懐かしく拝読しています。現役中は困るほど年賀状は多かったのに、リタイアすると年賀状も年々減って不安になる、とおっしゃった方がいらっしゃいます。目先の利益だけのつきあいが多い日本人のドライさを象徴していると言えますが、リタイア後の社会との係わり合いかたの鏡とも言えるのではないでしょうか。
  1月 2日にベトナムの政府機関の長官から年賀カードをいただきました。ベトナムの太宗は日本と同じ大乗仏教徒ですからクリスマスカードではありません。おそらく元旦ごろに着くよう緻密に計算して投函されたのでしょう。私はベトナムのかたがたには和紙風の紙に日本の伝統的なお正月モチーフが描がかれた年賀状を用意し、切手も和風のものを選んで送ってみたのですが、どのように思われたのか機会があれば聞いてみたい気がします。
河口容子
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