2007年を表す漢字に「偽」が選ばれましたが、数々の食品偽装事件についても2002年 2月 7日号「雪印事件に見る日本の構造」に書いた頃よりもさらに悪質化している気がします。2007年 9月27号「メイド・イン・チャイナ」では経済性よりも質への重視を書かざるを得なくなりました。ある意味では日本製だから、ブランドだから、と盲信する消費者への警鐘となり、内部告発が効くということは良い精神の人間もまだたくさんいるという希望にもつながります。
一方、2000年10月19日号「寒い家族」でライフスタイルの変化による事件を取り上げ、2002年 8月 1日号「無職の重みといのちの軽さ」では無職をめぐる自殺、殺人の増加を取り上げていますが、これらが輻輳してのいたましく、そして想像を絶するような事件も2007年は多かった気がします。
2004年10月 8日号「ジニ係数」で格差社会について書きましたが、景気指標が良くても格差はどんどん拡大するばかりといった事態にまで発展しています。実は女性の勤労者については早くから実力による格差社会でした。上司のえこひいきなどはあっても、広く評価され、長い目で勝ち残るのは実力のある人だけです。仕事では勝てなかった女性も良き家庭人をめざすという選択をしてきました。海外で働く日本女性、外国人と結婚して海外に居住する日本女性も増加しています。格差社会ではこういった多様な価値観を良い方向へと高めてあっていくことが必要なのではないかと思います。
ソクラテスの「ただ生きるな、良く生きよ」という言葉が好きですが、それぞれが自分にとって良く生きるとはどういうことかを問いかける必要がありそうです。「偽」の主役たちは起業家のヒーローであったり、地元の名士であったりした時代もあったはずです。せっかくの才能や恵まれた環境を「悪」に利用して身を滅ぼし、本当にもったいないことです。インターネットの利用が進むとともにウイルスやスパムメールも急激に増加しました。詐欺をも含む営利目的のものもあれば、単に不特定多数の人を困らせて楽しいというケースもあります。新しいウイルスを開発できるだけの知能をぜひ有意義な方向に生かしていただきたいと思います。
2007年の私にとっての大きな異変は入院と手術でした。一般的には病気になって良くない年だったという方が多いのでしょうが、それでは懸命に治療にあたってくださる医師や看護スタッフに申し訳ないと思います。私自身は20数年不安の種であった胆石発作の痛みからの解放された良い年であると心から感じましたので、年末に執刀医にあててハノイの大きな絵葉書にあらためてお礼の文章をつづりました。
体調不良、入院、手術、検査と忙しい年でもありましたが、いつもタイミングよく新しいクライアントが現れてくれ私に新しい課題を与えてくれたので落ちこむ暇はありませんでした。振り返ればピンチの時はいつも仕事やそれを取りまく方々が私の生きる支えとなってくれていたような気がします。また、働くフィールドを国際社会に設定してきたことにより、多様な価値観とニーズから、私の潜在能力を引き出してくれているような気がします。世界の多くの方々からいただいてきたご好意に報いるためにも2008年も私ができる事、私しかできない事を心を尽くしてやっていきたいと思います。
河口容子
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[2002年8月1日]無職の重みといのちの軽さ
[2002年2月7日]雪印事件に見る日本の構造
[2000年10月19日]寒い家族
[255]女性と年齢
女性に年齢を聞くのはマナー違反とされていますが、実際にはそうでもなく、外国人と少し親しくなれば「何歳ですか?」と聞かれることがしばしばあります。たとえば、韓国語は1歳でも年上なら敬語体を使わなければならないので相手の年齢を確認するのは珍しくないと言います。また、ベトナム語では、「チャオ アイン」と言えば年上の男性に対する「こんにちは」、「チャオ チ」は年上の女性に対して、男女関係なく年下なら「チャオ エム」と言いますから相手の年齢を見抜く術が必要です。いずれも年上の人を敬う精神や、ビジネスの会話ではどのくらいキャリアがあるのか知りたいなどという単純な理由で年齢を聞いているだけです。
一方日本では、中高年の女性とわかれば若者からも小馬鹿にされ、詐欺商法の格好のターゲットとなるだけです。「女性は産む機械」と発言し物議をかもした大臣の発言に代表されるように、生産性重視、産まない年齢に達したら「女性にあらず」という国民性を当の女性たちも許してしまっているのはだらしない。人間は誰もが平等に年をとるわけで、「年齢の若さ」は何の自慢にもなりません。若い時は人それぞれに若さゆえに美しい。ところが、年を重ねるにつれ経験や精神的な成熟、日々の努力がなければ美しくは見えません。むしろ中高年になってからこそ個々人の真価が問われると思っています。
自宅の近くにあるブティックの女性オーナーは私と同年齢の美人。お嬢さんは留学先のニューヨークで台湾系米国人と結婚しました。その結婚式はニューヨークで行なわれ、女性オーナーの82歳になる伯母さんも出席されたそうですが、社交ダンスが得意で華やかな装いのよく似合うこの老婦人は米国の若い男性招待客にモテモテだったそうです。外国人は年齢をたずねても、年齢を気にしないという良い例です。むしろ、彼女の日頃の努力の積み重ねやセンスの良さに魅了されエールを送ったとも言えます。
日本では「その年になったら誕生日なんてもううれしくないでしょう?」と冷やかされる事がありますが、そんな事を思ったことは一度もありません。「10歳まで育てばあとは大丈夫ですよ。」と母が医師に励まされ、二度と子どもはほしくないと思ったくらい私は手のかかる弱い子どもでした。健康自慢だった父が40歳の誕生日を迎えて10数日で他界したのに比べ、病気も怪我も多かった私がこの年まで生きているだけでも奇跡、神様に恵んでいただいた命と思わざるを得ません。20歳や30歳の自分と比較しても私は今の自分のほうが好きです。なぜなら、経験なりノウハウが積みあがっているからです。若い頃はおしゃれをする余裕もありませんでしたが、今はありますし、年をとった分小綺麗にしなければと努力をする私がいるからです。
目下最大の悩みは年齢よりはるかに若く見られることです。まず、仕事上では経験が不足していると見られて損をする事が多く、年齢からPRしなければなりません。健康保険証など写真のついていないもので本人確認をしようにも「ご本人ですか?」といぶかしがられる始末。相手が10歳以上年下なのに親しげな口を聞くので「失礼な男性」だと思っていたら、先方は先方で私のことを同世代と勘違いしており「生意気な女性」と思っている、というケースが時々あります。私に何かの用で来られた人が私を私の娘と勘違いしていたため、本人だと言ったところ、からかわれたと思い怒って帰ってしまった、などなど。
実は48歳の時に広東で23歳と25歳の若者に「28歳くらいですか?」と聞かれたことがあります。一瞬、お世辞か目が悪いのではないかと疑ったくらいですが、そんなに若く見られて嬉しいというより、おそらく途上国では若さを保つための情報が少なく、意識的なゆとりも少ないのだろうと感じました。昨年、香港人の若い男性クルーに機内でナンパされかかりましたが、日本と同じ東アジアの人であっても、年齢は気にしないようです。健康管理や資産形成のために年齢を気にする必要性は認めますが、「年だから」をチャレンジしない理由にするのはやめましょう。
河口容子
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