[184]香港人と行く花冷えの大阪

 ハノイから帰国した翌日には香港のビジネス・パートナーの兄のほうが大阪に入って来ました。私も翌朝早く新幹線で大阪に。私のハノイ行きについては約 1ケ月も前に知らせてあったのに、私のハノイ出張と重なるスケジュールを平気で知らせてきました。私の予定をうっかり忘れただけなのか、言うだけ言ってみて自分の思い通りになれば得と思っただけなのか真相はよくわかりません。弟のほうには「言うことばかり聞いていたら大変だから、時々はすっぽかしたらいいよ。」と言われたことがあり、どうも弟が抵抗運動を続けると私にしわ寄せが来るのは前にも書いたとおりです。
 今回の来日時の開口一番は大阪からまだ東京にいる私に電話で「デジカメ忘れたから持ってきてね。」買い付けた商品やディスプレイのしかたをすべて写真に撮るため、私たちの仕事にデジカメは必需品です。ときには何百枚にもなりますので、忘れるなんて、とばかりに私は大きくため息をつきました。
 そして、顔を見るなりの開口一番は「小泉首相の靖国参拝」。どうやらかなりご機嫌が悪いらしく、「このまま放っておいたらいつか戦争になる。日本の閉塞感というのを理解できなくもない。一方、中国人は自分たちは何でもできると思っていた、ところが最近はできないことがわかり始めてきた。この挫折感は非常に深刻だ。」確かに経済の自由化と海外からの投資は眠れる獅子を目覚めさせるインパクトにはなりましたが、所詮は先進国が安い人件費を利用し、巨大市場を狙っただけとも言えます。小泉首相はもうすぐ退任するだろうし、たとえ戦争になったところで日本が負けるに決まっているわけで困るのはむしろ私で彼ではないのに不思議な人だと思いました。
 実は彼ら兄弟が日本を好きなのには理由があります。彼らの父親は広東省の農村の出身で教育もろくに受けることができませんでした。父親が香港に出て来て得たのは日本のカメラ・メーカーのレンズ磨きの仕事です。退職するときその日本のメーカーは日本に来て顧問として技術指導を後輩にしてもらえないかと言ったらしく、そのことが元学者で投資家の兄と弁護士の弟の父親自慢であり、日本企業への尊敬の念につながっているのです。日本企業は幼いときから彼らにとって生活でもあったわけで、中途半端は親日家や日本製品大好き人間ではありません。
 初日はかなり雨が降っていました。 8度くらいが快適という彼は雨でも防水のスポーツウェアを着て傘もささずにさっさと歩きます。一方、私は28度以上にならない限り「寒い」という熱帯仕様で、冷たい雨の中を歩いているとだんだん無口になります。「雨も降らないと農家は困るんだ。ほこりもたたないし、雨もいいもんだよ。まだ、桜が残っていて良かったよ。」「今年は寒かったら花が長く楽しめたんです。一度吉野山の桜を見てみたいです。満山桜なんですよ。」「写真で見たことがあるよ。僕は京都にいつかゆっくり行ってみたいな。」
 2005年 5月26日号「香港人と大阪を旅する」のときに訪れた問屋さんをぶらりと訪ねてみましたが、あの時以来すっかりごぶさたしていたにも関わらず皆さん私のことを覚えていてくださったのはさすが「商都大阪」です。中にはある問屋さんに来ていたお客さんの顔に見覚えがあったので「あの方は昨年おじゃましたときにも来られていたような気がしますが」とオーナーのお母様に話ところ、「やっぱり、そう?あちらさんも見たことある、東京の人やろ?って言うてはりました。やあ、お互いによう覚えてはるもんやねえ。」
 雨の翌日はかなり暖かいお天気で、桜の名所である造幣局の通りぬけが見頃と朝ニュースで聞きました。時間があまったら行きましょうとビジネス・パートナーと約束しましたが、やはりそんなゆとりはやはりなく、疲れた体を新幹線のシートに預けて一緒に夕方から東京に向かうことになりました。
河口容子

[183]バッチャンお宝鑑定

 ハノイ市内にはあまり観光名所がなく、ちょっと時間があれば陶芸の里バッチャンに足を伸ばすことになります。2005年10月20日号「ベトナム特集3 バッチャン焼のふるさとへ」で概要については触れましたが、昨年は台風の中、今回は快晴。ハノイから少し山へ登っていくような感じになるのですが、道中は牛たちがあちこちで草をはんでおり、のどかで懐かしい景色です。
 バッチャンでは、店先に並んだ製品のみならず、気軽に工房に入り製造工程を見ることができるのも楽しみのひとつです。今回はぐるぐると歩きまわって見ましたが、観光用の牛車があるのを発見。女性がひとりで牛をひきまわしていましたが、屋台のような車で中に腰掛が向かい合わせについています。また、リヤカーに発動機つきの自転車がついた車で土などの材料が運ばれていくのも見かけました。ポン、ポン、ポンと音は威勢が良くてもスピードは出ず、ベトナム風時代劇のセットのような集落には良く似合う乗り物です。
 古美術を展示したちょっとおしゃれなカフェを見つけました。お寺の境内を思わせる展示場の横が庭になっていて木製のガーデンセットに座り、飲み物を注文することができます。見学気分で入りこんだ私たちに若い女性が出てきて「どちらから?」「日本です。」「教えていただきたいことがあるんですが。」「何でしょう?」「実は家で大事にしている小皿があるのですが、 100年くらい前にベトナムにあったものです。中国製か日本製かわからないのですが、真ん中に女性がいて後ろに男性が4人いる絵です。とてもきれいな絵で好きなのですが、何の絵だかおわかりになりますか?」真っ先に思い浮かんだのは七福神でした。「全部で七人ではありませんでしたか?日本では七福神というのがあり、ひとりは女性です。」「いいえ、全部で5人です。」5人というと5人ばやししか思い浮かばないので「同じ衣装を着ていましたか?」「いえ、それぞれ違います。それに真ん中は絶対女性です。」
 別にお茶を飲むつもりではなかったので、そのままぶらぶら歩きを続け、帰り道にまたカフェの前を通ると先ほどの女性が門のところで待ちかまえていました。「あのう、よろしければお茶を飲んで行かれませんか。弟がそのお皿を家から持って来る途中です。10分ほどですので。」この日は30度を越えていたでしょう。歩くとじわじわ汗が出てきます。庭で緑茶をいただいていると弟さんがお皿を持って来ました。いかにも古そうなものです。金があちこち使われていますがもう黒ずんでいます。お皿の中央上部に丸に十字の薩摩藩の紋がついているものの、ちょっといびつです。顔や衣服もどこか中国風ですが、裏の銘には山の下に漢数字で「七」、その下に左から右に「大日本」と読み取れます。高尚な趣味のない私は「ごめんなさい。私にはわかりません。日本では一般的には見かけない図柄です。日本に帰って専門家に聞いてわかったら連絡をします。」彼女はメールアドレスを書いてくれました。「ごちそうさま、おいくらですか」カフェですので代金を支払おうとすると「いいんです。こちらがお引止めしたのですから。」と弟さんや従業員と笑顔で送り出してくれました。
 帰国後、さっそく工業デザイナーの Y先生に写真を送りました。先生は日本の伝統工芸の産地で教えたりもされているのできっとご存知だろうと思ったからです。先生によると 80-100年前のもので中国から日本向けの輸出品の中に同じような絵柄を見たことがあるとのこと。真ん中は観音様で周囲の男性は将軍というモチーフだそうです。一方、インターネットで調べると骨董品として価値のある国産の「大日本」というのは「大日本○○」という長い銘のもので、縦書きです。彼女のお皿は中国製のコピーだったのか、それとも量産品だったのかよくわかりません。金銭的な価値がどうであれ、 100年も前にこのお皿がベトナムにわたり、ずっと大切にしてくれていた人たちがいる事のほうがずっと貴重だと思いました。読者の方でその辺にお詳しい方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。
 ハノイ滞在中はほとんど小雨か曇りで暑さはさほど感じませんでしたが、最後のバッチャン行きは強い日差しの中を歩きまわったせいもあり、かなり体力を消耗しました。帰国後、ミーティングをさせていただいた方々にお礼のメールを出しましたが、ある日系企業のハノイ支店長からのお返事はこんな言葉で結ばれていました。「本日からは本格的な暑さとなり気温も30度を超え湿度も大分高くなってきました。短い春が終わり夏を迎えたようです。」
河口容子