[183]バッチャンお宝鑑定

 ハノイ市内にはあまり観光名所がなく、ちょっと時間があれば陶芸の里バッチャンに足を伸ばすことになります。2005年10月20日号「ベトナム特集3 バッチャン焼のふるさとへ」で概要については触れましたが、昨年は台風の中、今回は快晴。ハノイから少し山へ登っていくような感じになるのですが、道中は牛たちがあちこちで草をはんでおり、のどかで懐かしい景色です。
 バッチャンでは、店先に並んだ製品のみならず、気軽に工房に入り製造工程を見ることができるのも楽しみのひとつです。今回はぐるぐると歩きまわって見ましたが、観光用の牛車があるのを発見。女性がひとりで牛をひきまわしていましたが、屋台のような車で中に腰掛が向かい合わせについています。また、リヤカーに発動機つきの自転車がついた車で土などの材料が運ばれていくのも見かけました。ポン、ポン、ポンと音は威勢が良くてもスピードは出ず、ベトナム風時代劇のセットのような集落には良く似合う乗り物です。
 古美術を展示したちょっとおしゃれなカフェを見つけました。お寺の境内を思わせる展示場の横が庭になっていて木製のガーデンセットに座り、飲み物を注文することができます。見学気分で入りこんだ私たちに若い女性が出てきて「どちらから?」「日本です。」「教えていただきたいことがあるんですが。」「何でしょう?」「実は家で大事にしている小皿があるのですが、 100年くらい前にベトナムにあったものです。中国製か日本製かわからないのですが、真ん中に女性がいて後ろに男性が4人いる絵です。とてもきれいな絵で好きなのですが、何の絵だかおわかりになりますか?」真っ先に思い浮かんだのは七福神でした。「全部で七人ではありませんでしたか?日本では七福神というのがあり、ひとりは女性です。」「いいえ、全部で5人です。」5人というと5人ばやししか思い浮かばないので「同じ衣装を着ていましたか?」「いえ、それぞれ違います。それに真ん中は絶対女性です。」
 別にお茶を飲むつもりではなかったので、そのままぶらぶら歩きを続け、帰り道にまたカフェの前を通ると先ほどの女性が門のところで待ちかまえていました。「あのう、よろしければお茶を飲んで行かれませんか。弟がそのお皿を家から持って来る途中です。10分ほどですので。」この日は30度を越えていたでしょう。歩くとじわじわ汗が出てきます。庭で緑茶をいただいていると弟さんがお皿を持って来ました。いかにも古そうなものです。金があちこち使われていますがもう黒ずんでいます。お皿の中央上部に丸に十字の薩摩藩の紋がついているものの、ちょっといびつです。顔や衣服もどこか中国風ですが、裏の銘には山の下に漢数字で「七」、その下に左から右に「大日本」と読み取れます。高尚な趣味のない私は「ごめんなさい。私にはわかりません。日本では一般的には見かけない図柄です。日本に帰って専門家に聞いてわかったら連絡をします。」彼女はメールアドレスを書いてくれました。「ごちそうさま、おいくらですか」カフェですので代金を支払おうとすると「いいんです。こちらがお引止めしたのですから。」と弟さんや従業員と笑顔で送り出してくれました。
 帰国後、さっそく工業デザイナーの Y先生に写真を送りました。先生は日本の伝統工芸の産地で教えたりもされているのできっとご存知だろうと思ったからです。先生によると 80-100年前のもので中国から日本向けの輸出品の中に同じような絵柄を見たことがあるとのこと。真ん中は観音様で周囲の男性は将軍というモチーフだそうです。一方、インターネットで調べると骨董品として価値のある国産の「大日本」というのは「大日本○○」という長い銘のもので、縦書きです。彼女のお皿は中国製のコピーだったのか、それとも量産品だったのかよくわかりません。金銭的な価値がどうであれ、 100年も前にこのお皿がベトナムにわたり、ずっと大切にしてくれていた人たちがいる事のほうがずっと貴重だと思いました。読者の方でその辺にお詳しい方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。
 ハノイ滞在中はほとんど小雨か曇りで暑さはさほど感じませんでしたが、最後のバッチャン行きは強い日差しの中を歩きまわったせいもあり、かなり体力を消耗しました。帰国後、ミーティングをさせていただいた方々にお礼のメールを出しましたが、ある日系企業のハノイ支店長からのお返事はこんな言葉で結ばれていました。「本日からは本格的な暑さとなり気温も30度を超え湿度も大分高くなってきました。短い春が終わり夏を迎えたようです。」
河口容子