[174]アジアの道義心

 シンガポールのリサーチ・コンサルタント会社の日本代表をお引き受けすることになりました。経緯は 1月12日号「簡単そうで難しい仕事」で書いたとおりです。あまりの熱烈ラブコールに「 1-2週間だけちょっと考えさせてください。」とお願いしたくらいです。理由としては、簡単にお引き受けして成果が出なかった場合は、お互いに時間もコストも無駄になるからです。最終的にはCEO の「私はあなたのアジア的道義心が好きです。ビジネスにおいてもお互いの尊敬、信頼、公平性そして友情を融和させる精神が好きです。」という一言で決まりました。米国のコンサルタント企業をわたり歩いてきた経歴の持ち主である彼からそんな言葉を聞くとは想像もしませんでした。
 ふりかえってみれば、2002年10月31日号「気がつけば華人社会の住人」で触れたように香港企業の日本代表をお引き受けしたときも「私を信じて。」という映画「タイタニック」の決めゼリフと「あなたの希望する条件を全部出してください。一切心配することはないから。」と言われたような記憶がします。
 日本の知人に言わせれば、「日本で国際ビジネスをコンパクトにひとりで仕切れる人は少ないから彼らが頼むのは理解できます。」たしかに、日本の総合商社や大手企業が多額の投資をしたり、大組織をあげて取り組むようなビジネスばかりが国際ビジネスではありません。特に私のジャンルは理論よりも実務ができること、それも短期間に実効をあげることが要求されます。私の立場はクライアントや海外パートナーに成功をもたらすことで、いわば内助の功、縁の下の力持ちです。決して敵対する存在ではなく、ましてや相手から利益を搾取するものでもありません。
 耐震偽装事件やライブドア事件以降、二極分化社会、お金だけの成果主義に関して見直す動きも出てきました。たしかに刑務所の塀を渡ってでも、他人を欺いてでも、という気がなければ、短期間で巨万の富は得られないでしょう。心がすさまない程度のお金があれば、どこに行っても友人が暖かく迎えてくれ、枕を高くして眠れる毎日のほうが私は幸福だと思いますが。
 会社員の頃、米国でもかなり先進的な国際企業の担当をしていました。日本法人にあっても、隣に座っている人でも口を聞かずメールで連絡をする、決められた仕事しかしないため隣の人のしている仕事内容を知らない、自分の電話以外は出ない、という企業でした。米国の本社には世界中から優秀な人材が自薦他薦を問わず入社してきますが、トップに近づけば近づくほど自分の出世しか考えない人が押し合いへし合いしています。下克上ですから、ポストを奪った者は次に奪われる運命にある過酷な世界です。
 ところが、異動で担当を変わるとき、日米実に多くの方々から感謝や激励、思い出をつづったメールをいただき涙しました。送別会や管理職自ら花屋さんで選んだ花束など部署ごとに心を尽くしてくれ仰天しました。冷徹な合理主義と理論一辺倒のこの米国企業に数年私は戸惑い、よく過労死しなかったと思うような日々を送ったかわりに会社員として素晴らしい業績も残すことができましたが、一番の喜びは私の中に「誠実で公平な態度」というアジア的道義心を見つけて評価してくれたことでした。
河口容子

[173]アジアのホリデー・シーズン

 早いもので今年の 5月には起業 7年目を迎えます。ビジネスのフィールドを中国と東南アジアに絞りこんでからは 5年ほどになりますが、この多彩な国々を象徴するのが、次々と秋冬に繰り出されるホリデー・シーズンです。まずは10月 1日から始まる中国の国慶節。
 昨年12月 8日号「続・アセアン横丁の人々」で紹介した国際家具見本市は11月下旬の開催で、そこで再会したブルネイの女性政府職員はちょうどラマダン月での来日でした。日没以降しか食事を取れない彼女に「ダイエットにはいい?」と聞いてみたところ、「夜、脂っこいものや甘いもので一度にカロリーを取るからかえって良くないかも。」と彼女は半分不安顔でした。断食明けのハリラヤ祭では日本の打ち上げ花火がブルネイの夜空に大きな花を咲かせたと報道を目にし、彼女もこの花火を見て、いつもの満開の笑顔に戻ったことを勝手に想像しました。
 そして、クリスマス。ジャカルタからニュージーランドのオークランドに移住した10年来の友人 D氏からは彼の母親と弟妹家族が住むオランダでのクリスマスを迎えたとのメールをもらいました。彼がオランダに行くのは何か重大な事が起こったとき、今回はどうやらニュージーランドで新しく始めるビジネスの報告や相談に行ったようです。私にも「どう思う?君は永遠の友達だから意見を聞いてから決断するよ。だからなるべく早く返事がほしい。」と書き添えてありました。私は彼のアイデアに賛成し、実務の相談相手としてジャカルタに住むある富豪のビジネスマンの名前をあげました。一緒に食事もしたことがある仲です。
 そして、D氏のジャカルタのビジネスパートナーであった女性の友人にも久しぶりにメールを書きました。2002年 6月13日号「アジア人から見たニッポン」の主人公です。「私みたいな変なのを覚えてくれていてありがとう。」「忘れたことはないわよ。だって私の父方の祖母に似ているんですもの。」「そうなの?私みたいなひっちゃかめっちゃかな方だったの?だったら思い出したくないわよね。」「あなたのようにとても明るくて、行動的な人だったわ。誰にでも親切だったし。」「それはありがとう。」そして、 D氏は母方の祖母にそっくりであることも話しました。「あなた方は神様が私に敬愛するようにお遣わしになったのだと思っているの。」「 D氏も近日中にジャカルタに来るから、じゃあ私たちの孫娘の話をするわ。」とユーモアたっぷりに彼女のメールは締めくくられていました。
 そして日本のお正月。日本のある取引先の社長は必ず元旦にメールをくださいます。そこで仕事の連絡などもついでにしてしまうのですが、中小企業の経営者というのは 365日仕事で頭がいっぱい、またそれも楽しみのひとつです。香港のビジネスパートナーとは、日本のお正月を機に「今年の方針」を策定するのが年中行事です。
 その次は中国の春節(旧正月)です。中国の経済成長に伴い、この季節には日本にも多くの観光客が訪れます。最近とみに感じるのは、外見ではまったく見分けがつかず、言葉を聞いて初めて中国の方だとわかることです。不調だった香港ディズニーランドもこの季節を迎え、入場規制が出たとのニュースを目にしました。
 東南アジアも旧正月はお休みのところが多く、昨年からコンタクトを始めたベトナムのハノイの総合商社もしっかり 1週間お休みです。2005年11月10日号「ローレンスと呼んで」のシンガポールのローレンスは旧正月の休みが明けたとたんコンピューター・ウィルスにやられ、私が持っているファイルを転送してあげることになりました。「アジアのホリデー・シーズンの熱狂ぶりを欧米人は理解しない」と欧米人のクライアントに不平たらたらのローレンスですが、ウィルスの熱狂ぶりにはさすがにショックだったようです。
河口容子