[106]ジニ係数に注目

 時々ジニ係数という表現がマスコミに登場するのをご存知でしょうか。最近厚生労働省が「再所得分配調査」の中で日本のジニ係数を0.4983と発表しました。まったく格差がない社会は0、一人ですべての所得を占有している場合は1となります。 0.5といえば、上位4分の1の所得者がすべての所得の4分の3を得ているということになるそうで、日本は1984年以来連続して上昇しています。
 1980年代までは市場の拡大とともに、大企業から中小企業まで、それなりに成長でき、実際ジニ係数は下がっていました。ところが、グローバル化による競争の激化や市場の成熟化とともに企業間、個人間の所得格差が拡大し「勝ち組、負け組み」という言葉が日常茶飯事に使われています。またリストラの影響で2001年に 910万人いた45?54歳の男性就業者が 840万人にまで減っています。貯蓄率の高さを誇った日本も貯金のない世帯が2割を越しました。
 かつて、経済成長しながらも1億総中流意識、理想的な社会主義あるいは悪平等とまで呼ばれた社会構造はもはや今の日本にはないことを頭に入れて統計数字を読み解く必要がありそうです。途上国に行けば行くほど、このジニ係数は高く、政治や経済が不安定な要因になります。地球上で見ると0.7068で人口の14.7% が85.3% の GNPの担い手です。世界平和への道は貧困の撲滅と言われるのはこの辺に理由があります。
 中国もジニ係数は高いものの、各都市内ではそんなに高くなく、地域差が大きいのが原因のようです。世界の人口の2割以上を占め、漢民族と55の少数民族がいることから、「富める所はお先にどうぞ」という方式を推進、貧しい地域からは資源を売る、安い労働力を提供するという形で富のおすそ分けを得ている状態ですが、今後所得格差を緩和する政策が取られることは間違いがないと思われます。
 先進国では一般的にジニ係数は 0.3前後で自然値とされているようですが、唯一高いのが米国です。ここも他民族国家、しかも移民が多く、格差を認めざるを得ないという部分がありますが、情報システムの発達によるニューエコノミー下での中間階層の崩壊が指摘されています。これは日本にもあてはまると言えます。情報システムの発達により、さまざまなコスト削減が可能になり、企業は厳しい競争にさらされ、不安定な経営を強いられますが、フレキシブルな再編成も可能になっています。これを雇用者側から見れば、雇用の不安定につながり、専門能力を有する者は厚遇され、定型的な業務しかできない者は機械にまでその職場を奪われることになりかねません。そして、情報システムは消費者を細かく管理できるようにしたため、高所得者ほどより良いサービスを受けることができる、つまり金持ちはますます金持ちになる社会が出来上がっていくのです。
 悪平等も困りますが、極端な格差というのも日本にはなじまないと私は思います。機会が平等にさえ与えられれば、多少の格差は容認される、それが人間の自然な姿ではないでしょうか。
河口容子

[105]変わりゆく華人社会

 ジャカルタに住む華人の友人は会社員の頃の取引先でもう10年のおつきあいになります。もともと華人財閥の貿易部門で腕を磨き、同じ財閥系のメーカーのNo.2に転進、その後、米国と英国に住む元上司と共同出資した会社ふたつの社長をしています。市内の高級住宅街に自宅を構え、ご自慢の日本製輸入車も含め車を何台か所有し、メイド2人と運転手がおり、休日はテニス、パーティ、旅行、彼の行くところ微笑みのさざなみが起こるような人物です。
 たった数パーセントの人口しかいない華人が 8割の富を握ると言われるインドネシアでは暴動が起きるたびに華人が襲撃されます。また、長らく中国姓や中国語使用の禁止を政策として掲げてきました。出生証明をはじめ多くの華人に対する差別制度があります。1998年のジャカルタ大暴動以降、華人が資産を海外に引き上げ、困った政府が旧正月など中国の風習の復活など緩和策を取っています。一方、中国、ベトナムの台頭により、インドネア製品の欧米への輸出競争力が落ち、大手の華人系メーカーは海外移転したり、閉鎖を余儀なくされています。海外へ出て行く知人たちを見ながら、彼は「弱気になって海外へ行ってどうするっていうんだい。中華料理屋にでもなろうというのかい。」と終始強気でした。
 ところがその彼が1昨年の末に突然ニュージーランドの永住権を取り、家族は現在オークランドに住んでいます。仕事でジャカルタに残っている彼と家族が行ったり来たりの二重生活になりますが、子どもたちの教育のため現地に大きな自宅を現金で買い、半分を貸し、もう1軒借家をローンで買い、最近奥さんがピザ・レストランを始めました。お父さんが単身赴任になるだけでも大騒ぎの日本の家庭とは大違いの行動力とバイタリティです。
 考えてみれば、退職後の夫婦二人暮しならともかく、高校生と中学生の子どもを持ち、ジャカルタの何倍の物価のところで、掃除も洗濯も料理も自分でしたことのない40代も終わりの夫婦が楽しい海外移住生活を送れるはずはありません。案の定、最近は不安と愚痴に満ちていて、私は相談に忙しい毎日です。いっぱしのジャカルタ通に育ててくれたお礼の気持ちです。
 「ジャカルタでは子どもたちは危険なのでどこへ行くにも送迎が必要だったし、家内は車で通勤途中3度も強盗に遭いノイローゼ状態になったんだ。家族でいろいろな国へ行ってみたけれど、ニュージーランドが一番気にいったし、一番永住権が取りやすかったから。」私にしてみれば「それだけの理由?これは甘いぞ。」、総合商社では家族は仕事の犠牲になるのが普通だったからです。
 「米国のパートナーが最近横暴なんだよ。もう年だし、そろそろ辞め時だと思う。でも、外国でビジネスを始めるのは大変だし、就職も今さらできないし、どうしよう。」華人の世界は親分子分の世界です。彼の世代は親分はいても子分はいません。親分の引退とともに自分の後ろ盾を失ってしまうわけです。
 私はインドネシアに何かビジネスを残しておくようアドバイスしました。ニュージーランドで何かを始めるには資金もかかるしハンデがあるからです。ニュージーランドでは増えつつあるアジア系住民を減らせという白人の運動まで出てきています。両親と弟妹の家族もオランダに永住している彼に帰る場所を確保するという意味もこめています。「こんなプライベートな相談をしたのはきみが初めてだ。親身になって考えてくれて一生感謝するよ。」と彼が言いました。華人社会は地縁、血縁でこんな事は寄ってたかって面倒を見てくれるものと信じていた私には衝撃の一言でした。華人社会は変化してきているのか、それとも金勘定のためのつながりだけで感情はない社会なのかも知れません。
河口容子
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