私が子どもの頃から興味があったことのひとつにネーミングがあります。自分の名前は自分では選べませんが、一生その名前で呼ばれ続け、名前はアイデンティティそのものでしょう。会社や商品だって存在する限り、多くの人に呼ばれ、認識され続けるわけで、会社や商品に名前をつける人はどんな思いをこめるのか関心がありました。
実は起業したとき、一番苦心したことのひとつが社名を考えることでした。日本では法律で同じ法務局の管轄内で同業に同じ社名あるいは類似した社名はつけられないことになっていますから、自分で案をいくつか練っておいて法務局で法人名の閲覧をしてチェックしてから登記を行なわなければなりません。
昔の社名はそのものずばりが多く、山田建設であるとか東京鉄工所のようにオーナーの名前や地名に業態を表す言葉をつけたものが多く、わかりやすくおぼえやすかった気がします。そのうちカタカナ社名が氾濫してきて、和製英語や英語プラス日本語、はたまた意味不明の横文字の社名が氾濫してきました。バブルの頃、たくさん会社ができましたが、あるとき社名の由来についてたずねたところ、「響きがカッコいいからです。意味はありません。」と答えられ、ちょっと不安に思ったこともあります。そして現在も、新規上場する企業の名前など、何語なのか何をしている企業がさっぱりわからないものがたくさんあります。また、フランス女性の名前を持つお店に行ったらアジア雑貨のお店だったこともあります。
私の場合は、海外と仕事をすることが主眼であったため感覚的ではなくきちんと意味を持つ英語の名称、ただしカタカナにしても長くならず日本人にも覚えやすいもの、ありふれていない、という点をポイントに何日か英和辞典を片手に単語をひろい数十の候補を用意しました。なぜ英和辞典かというと、ひとつの単語にはいろいろな意味やニュアンスを持っていますので、マイナーなイメージの意味がないかどうかをチェックするためです。五十音の「あ」もしくはアルファベットのAから始まる社名のほうがリストなどで検索をかけるとき常に先頭にあるので目立ちやすいという説も頭をよぎりましたが、それにはこだわりませんでした。結果として、五十音でもアルファベット順でも終わりのほうになり、これはこれで目立つかも知れません。
最近読んだ中で面白いと思ったのは中国では意味のないブランド名は通用しないという記事でした。中国ではブランド名はすべて漢字になります。中国全土で考えればアルファベットを読める人口はまだまだ少ないからです。漢字といっても地方により発音は違いますから、漢字本来のもつ字の意味で伝達するのです。たとえば、スポーツ・ブランドのナイキは「耐克」となります。標準語では「ナイコォ」という発音で当て字ではありますが、違う発音をされても忍耐して打ち克つというアスリート魂や丈夫さをアピールできます。ひらがなやかたかなといった表音文字を共有できないお国柄ゆえの知恵でしょうか。そして横文字や音の響きをカッコ良いとする感覚的な日本人に比べ、中国人のほうが実利的な国民性のようにも思えます。
河口容子
[087]ビジネス・スキーム
世の中には「貿易なんて面白そう」「貿易なんて簡単」といとも簡単にビジネスを始める方がたくさんいらっしゃいます。確かに外国やその文化、製品に興味がある人にとっては面白そうに映りますし、設備投資が不要という意味では簡単かも知れません。ところが現実はそう甘くはありません。
一つ目の例。商社を一人で始めたが東南アジアで何が売れるか教えてほしい、輸出実務ができないので代わりにやってほしい、という相談がありました。中国や東南アジアでは日本製品が飛ぶように売れると聞いたのでそういうビジネスに興味があるというのです。聞けば特定の商品を持っているわけでもなく、確たる仕入先もなく、貿易に関する知識もまったくありません。商社なら輸入か国内商売はしているのか、とたずねると「まだ始めたばかりなので何も」と口ごもります。「では、あなたの機能は何で、何に対して利益を得るのですか」とたずねたところ、無言でした。起業さえすれば勝手にビジネスが転がりこんで来ると期待する人は実に多く、特に大企業の管理職をリタイアされた方によく見受けられるパターンです。退職金が入るので大船に乗った気分になるのと、また自分自身への過信もあるからです。
二つ目の例。韓国の買い手と日本のメーカーを見つけたが、資金がないので代わりに決済してくれないか、というものです。実は私はこの日本のメーカーの行動パターンをよく知っています。韓国の買い手の条件が少しでも良ければ、どんな手を使っても直接取引を仕掛けるはずです。おとなしくしているとしたら、まったく旨味のない話なのでしょう。あるいはこの問い合わせの主は自分で決済できなければ、どちらからも手数料をもらえない状況にあるのでしょう。自分の立場と利益を確保しないでビジネスをしようとするとこんな羽目に陥ります。国内のビジネスでも同じですが、モノの流れとお金の流れをきちんと組みたてておかないと自分はいつの間にか蚊帳の外、というパターンになります。聞けばたいした金額ではありません。その程度の資金もなく、借り入れもできない見ず知らずの人の願いをかなえてあげるほど私はお人よしではありません。こういう場合、冗談半分に「あなたが私の立場だったらお願いをきいていただけますか」とよく聞くのですが「嫌だね」と異口同音に答がかえってきます。
ビジネスはまずはスキーム全体をきちんと組み立てることから始まります。一つ目の例は「ままごと」レベルにも達しません。二つ目の例は決済能力がなければ仲介手数料をいただくという手段もあるのですが、そういう場合は条件を示して事前に双方あるいは少なくとも手数料をいただく側から了解を得ておかねばなりません。
まず、自分は何の役割あるいはリスクに対して益を得るのか、そしてその利益率は妥当なものかどうか。私の経験ではどんな商品あるいは商流においても適正利潤値というのはあります。取引の流れの中で誰かが不当に利益を得ているとその分どこかへしわ寄せが来ます。そういう形態のビジネスは長続きしません。利益率は業界や商品でだいたい相場がありますが、それは多くの試行錯誤から得られた適性利潤値であると私は思っています。
先週と 2週にわたって貿易を絡めたビジネスに関する基本的な考え方を書かせていただきました。サクセス・ストーリーはマスコミで大袈裟に取り上げられますが、その裏には何倍も何十倍もの失敗者がいるわけです。これから起業をめざす方には「ゆとり」という言葉を贈りたいと思います。起業すれば山あり谷ありの道を自己責任で進んでいかねばなりません。特に不遇のときも前向きに努力できる精神的なゆとり、生活を支えられるだけの金銭的なゆとりを持って起業することが大切です。
河口容子