[000]アジア人から見たニッポン

先週、知人のインドネシア人の女性が1週間初めて東京に遊びに来ました。彼女は50歳の中小企業経営者で日本の大企業の管理職並みの収入はありますので現地ではかなりお金持ちといえます。華人ですので見た目は普通の日本の中年女性です。英語も堪能で、出張、旅行と世界を飛び回っています。
外国人の来日というといつも頭が痛いのが言葉の問題です。彼女にしても現地で知り合う日本人はすべて英語を話すため、日本では英語が通じると勘違いしてやって来たはずです。よほど特殊言語の地域に旅慣れた人でない限り、早々にコミュニケーション面で精神的にダメージを受けます。西洋人の場合は優越感があるのか言葉が通じなくても堂々とどこへでも行くし、日本人も西洋人には親切で、日本人にたかって暮らしているような人までいます。ところが相手がアジア人となると手のひらを返したように不親切です。皆が皆不法就労者や犯罪者でないにもかかわらず。
彼女は私のアドバイスを守り怪しげなアジア人と間違われないためにカジュアルルックではありましたが、エルメスの時計に大きなダイヤモンドの指輪をつけて現れました。やはり言葉には閉口したのか「日本の高校では英語を教えないの?」高校どころか中学からやって高校までで6年勉強するのだと答えると「なんで英語話せないの?」

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変わりゆく日本、国際人として生きる

 今週で100号を迎えました。連載を始めた頃はここまで続けさせてもらえるとは想像もしませんでした。この場をお借りして、ご購読いただいている読者の皆様、そしてホームページや社内媒体などで広くご紹介くださった方々、また発行管理人のデジタルたまごやさんに厚く御礼申しあげます。

 連載を始めた動機としては、書くのが好きなことに加え、人生も半世紀近く生きてきて、また大企業のサラリーマンから零細企業の経営者として新しい人生をスタートしたばかりであり、少しは自分の意見や経験を世間にご披露しても失礼にはあたらないのではないか、という所にありました。

 そして、ニュースを自分の身近な視点でエッセイにすること、つまり自分なりにニュースをどう受け止めるか、どう考えるかを読んでいただくことにより、通りいっぺんにニュースを聞き流すのではなく、時代を映す鏡としてより真剣にとらえ、ひとりひとりが少しでも意識改革をすることにより日本もいい方向に変わっていくことを願っておりました。

 「なし崩し的」という言葉がよく使われるようになりましたが、少しずつの変化はなかなか気づきません。変化の積み重ねの結果、ある日とんでもない事態に陥って初めて取り返しのないことに気づくのです。たとえば、私が大学を卒業した1976年は大変な就職難で就職ができず自殺をした人までいました。それが今ではフリーターが職業欄にまで現れ、不況だから採用が少ない、就職できなくても不思議ではない、そのうち正社員として生きるだけが人生ではない、パラサイトできる人はハッピーというような考え方がすりかえ現象として起こっています。精神的には救われる面もありましょうが、根本的には経済、政治、教育、家庭すべての在り様にかかわる問題ではないでしょうか。

 スタートした時に設定したキーワード、雇用、リストラ、就職難、家庭崩壊、企業の不祥事、いずれを取ってみても数年前まではドラマにもなかったような事件が連発し、テレビが家庭に送りこむ痛ましい画像の積み重ねが日本人の心から毎日毎日何かを奪っていくような気がしてなりません。誰もが持っている美しい心、強い心の片鱗でもしっかりと無くさないようにしたいものです。

 そんな日常の中で、ますますウェイトが高くなってきたのが「世界の中の日本」という意識です。貿易の仕事に携わって26年になりますが、最近は国内商売一筋だった方でもほとんどが海外生産や海外市場に関心を持っておられます。また、海外とは全く関係なかった中高年の方でもキャリアや技能を買われ海外
の企業に就職をされるケースも耳にするようになりました。
 そこで101号からはリニューアルをして、「誰でもなれる国際人」というタイトルに改めさせていただき、国際社会と日本および日本人について、もう少し実用的な観点から考えたいと思っています。特にこれから初めて海外とかかわりあいを持つ方にはヒントになればうれしく思います。また、すでにバリバリの国際人の方々からもご自分の体験談に基づいたご意見などどんどんお寄せいただくことを期待しております。引き続き、おつきあいをしていただければ大変うれしく思います。

2002.09.05

河口容子