南ジャカルタの高級住宅街にあるブティックを訪問した時のことです。店ごと原宿や青山へそのまま持ってきても遜色のないものですが、店内にリビングルームのような空間があり、高齢の男性が安楽椅子でうたた寝をしていました。この店は若い奥さんが経営をしているのですが、彼女も含め家族も笑顔でこの高齢の男性を気遣っていました。日本ではまず見られない光景です。商売のじゃまになるからと家の奥に寝かされていたり、皆忙しいのだからと病院に送り込まれるのが関の山です。
日本では「孫に気に入ってもらう」ためのマニュアル本まで発行されたそうです。孫にお小遣いや高額のプレゼントをあげないと、つき合ってもらえない、いや自分はどうでもいいが、子どもの配偶者やその両親に対して肩身が狭いから仕方がない、という人までいます。私は祖父母と一緒に生まれた時から家族として生活して来ましたのでそういう祖父母―孫感覚というのはまったく理解できません。確かに祖父母は私を大変かわいがってくれましたが、彼らは私に気に入られようと思っていたわけではないし、家父長制の厳しい家でしたので、生活の基準すべてが祖父中心に組み立てられていました。
ある企業経営者が言うには「会社を危機に陥れるのは下に好かれたがる管理職」。管理職は部下の指導育成という重要な仕事があります。時には部下に反発をくらうことがあっても社業の発展や部下の人間としての成長に必要なことなら鬼と思われても仕方がありません。それと同じように「国家を危機に陥れるのは孫子に好かれたがる親たち」だと思います。
日本は想像もできなかった速さで高齢化社会に突入しています。確かに高齢者が急増すれば若い世代の負担は大きくなり、高齢者が遠慮せざるを得なくなる。数多いものは珍しくもないから関心も持ってもらえない、ということでしょうか。杖をついているようなお年寄りを目の前に立たせ、シルバーシートで寝たふりをしている若者はあたり前の光景になりました。病院に行けばお年寄りへの嫌がらせ、つまりわざと診察の順番を遅らせたり、年寄りだから治療や投薬はいらないと言われたり、が怖くて本当に具合が悪くても病院には行きたくないという声も多く耳にします。
私の母は72歳です。政治、経済も含め普通の人よりは話題ははるかに豊富で若く見えますが、仕事と関係ない会食の場合、私の知人たちに母も一緒に行って良いかと聞くとたいてい上手に断られます。また、それ以後、私自身も二度と誘ってもらえない事もよくあります。それでも母が私に気兼ねをする必要などはまったくないと思っています。祖父は88歳で私の25歳の時に他界しました。高齢者のいる母子家庭では自由がききません。だから日本人の友達はできませんでした。そんな家庭環境の中で、いろいろ気遣ってくれるのは外国人の方がはるかに多いというのも情けない実情です。
誰もがいつかは年を取ります。高齢化社会、それも高齢者が粗末にされる社会、これはひとつの国家的な不安材料となります。安心して長生きできるということは、その人の持つ経験や知恵が社会へと受け継がれるからです。またこの年代に偏在する富も上手に社会に還元され、良い循環を生むはずだからです。
2002.06.06
河口容子