外で悠々

 元気の良い「午」年の幕開けらしく、首相をはじめ多くの閣僚が「外遊」に出かけて行きました。大臣になると「出張」ではなくなぜ「外遊」なのかよくわかりませんが、一国の代表たるもの外で悠々ととふるまっていただく「外悠」であってほしいものです。ワイドショー内閣だけあって各大臣の一挙手一投足が刻々と報じられますが、それこそ一喜一憂しないで彼らが何を得て来て、今後を何をやってくれるのか見守っていきたいと思います。

 アフガンの復興に向け、国際派のスーパースター、緒方貞子政府代表が輝いて見えます。「場慣れ」と「海外での評価」のは、中高年や女性という日本の仕事場で横行している差別をあざ笑うかのごとくです。ここへ来て、世界銀行の西水美恵子副総裁のアフガン支援発言もあって、国際舞台での日本女性の馬力が頼もしい限りです。  最近、海外で働く女性が急増しています。もともと海外旅行は日本女性のお家芸で、好きな所で働きたい、居ついてしまった、どうせ日本は不況で女性は差別されるし、という感じなのでしょう。日本人男性が欧米諸国へ行くと何となく劣等感を感じるらしく、その反動がアジア諸国での「恥の掻き捨て」行動につながるらしいのですが、逆に女性の場合は、美徳という神話をいまだに信じている人が多いらしく、どこへ行っても大事にしてもらえるという優位性もあります。現地の方と結婚され起業された日本女性の話もインターネットで見かけましたし、今私が商談を行っている海外の企業のうち2社は輸出担当マネージャーが偶然にも日本女性です。

 ワーキング・ウーマンの活躍のみならず、芸術家、タレント、スポーツ選手と海外に活動の本拠を置く人が増えています。また、「頭脳流出」という言葉に表される学者や研究者の空洞化のおそれもあります。その実、リストラされそうな中高年の技術者が高賃金でアジア各国の企業にヘッドハントされて動いているとのニュースも聞きました。本当に高度の学問をしたい人や個性的な教育を受けたい人は留学します。また、気候が穏やかで生活費の安い海外で永住はしないまでも老後を過ごしたいという人々もふえています。

 なぜ、こうもいろいろな人が日本を出て行ってしまうのか、それは単なる好奇心や冒険心、チャレンジ精神だけではなく、日本の持っている「しくみ」に問題があるからです。クリントン政権時は米国の中国重視傾向と中国の自由主義経済の台頭があいまって、ジャパン・バッシングではなくジャパン・パッシング、すなわち無視して通りすぎられるという言葉が流行りました。日本への輸入商談を行う際にも、「日本は結論が出るのが遅すぎる」「少量多品種対応が必要」「高品質低価格にこだわる」「納期がうるさい」を理由に日本へは輸出したくない、という先進国から途上国に至るまでたくさんのメーカーに出会ってきました。

 私自身は、いましばらくはどんどん人が海外に出て行き「なぜ外なら悠々と暮らせる」のか体験してもらい、日本のどこを変えたらいいのか考える材料にしたらいいと感じています。義理人情、勤勉性、礼儀正しさ、思いやりといった日本がいつの間にか捨ててしまったものも外国で見つけるはずですから。

2002.01.17

河口容子

冷静と情熱

「冷静と情熱のあいだに」という映画がヒットしました。原作は辻仁成と江國香織のふたりの作家による同じ題名のふたつの小説です。男性側からのストーリーと女性側からのストーリーを合わせて読めるという試みも出版された時非常に新鮮に映りました。

 さて、このヒットの裏にはタイトルのネーミングにあるような気がしてなりません。映画と小説はラブストーリーですが、何につけても今の日本人にかけているものが「冷静と情熱」だからです。

 朝から晩までゲームをしている場合「夢中」と言っても「情熱」とは普通言いませんし、試験に合格するために徹夜で勉強することも「情熱」とは言わないでしょう。となれば「情熱」というのは夢や目標に向かって自分が積極的に向上していくもの、あるいはチャレンジしていくもの、しかも継続するものをさしていうのでしょう。生きがいや存在意義と言ってもいいかも知れません。社会の第一線でばりばり仕事をしているような人でも「情熱」を持ってやれる人は大変幸福ですし、輝いて見えます。

 最近「自分のやりたいことがないから就職したくない」という若者も増えています。「情熱をかたむけるものが持てない」のはどうしてでしょうか。誰にでも「他人には負けない技能や能力」が何かあるはずです。それを見つけ、生かす教育をしていないからです。あいも変わらずオールラウンド型のテストの結果偏重型の評価をしており、それを人間の価値感の基準にまでしてしまっています。それに加え、親の過保護があります。親が次から次へと転ばぬ先に準備をしてくれます。すると、自発的に責任を持って判断する、苦労してでも何かをやり遂げるという力はだんだん弱くなっていきます。人間づくりで失敗すれば、やがてその人の所属する組織、すなわち政府、地方公共団体、企業も活気がなくなり、事なかれ主義、ついには腐敗します。

 「自分はAという職業の方が興味があるが、Bという職業の方が体裁もいいし、給料もいいからBにしよう」というのは冷静な判断と言うでしょうか。単なる損得勘定か体裁を気にしているとしか私には見えません。しかし、長い年月の間には損得も体裁も変わることがあります。それで後悔する人はたくさんいるはずです。結婚相手を選ぶにしても同様のことが言えるかも知れません。冷静沈着というくらい、冷静という言葉にもかなりの深さがあります。単に合理的であったり、喜怒哀楽が少ない人を冷静な人とは呼ばないでしょうから。

 情熱の対極に常に冷静がある、つまり片方だけでは存在しない気がします。日本には世界のトップシェアを持つ中小の製造業がたくさんありますが、そこの経営者たちはサラリーマンには真似のできない情熱を持っておられ、誰にも負けない点は何かという分析や研究を冷静にされています。誰にも負けないこと、それはいかに人の役にたつかです。常に情熱と冷静が繰り返す波の中にもまれていてそれが生きる活力にもなっているのだと思います。

 一年の目標を決めるこの頃、まず、本当の自分探しをしてみませんか。夢中を情熱と勘違いしたり、目先の損得を冷静さと勘違いしないように

2002.01.10

河口容子