カレンダー今昔物語

  年末を代表するモノは何かと問われれば、私は絶対カレンダーだと答えるでしょう。幼い頃は、父が持ってきてくれる旅行代理店のカレンダーがお気に入りでした。一月一枚になっており、日々どこかの地方のイベントがイラスト付で入っているかわいらしいもので毎年心待ちにしていたものです。また、当時は日めくりもかなり健在で、毎日毎日格言が印刷されており、完全に理解もできないくせに早く次の格言が見たくて一日に何枚も破っては祖母に叱られていました。まだ日本が貧しく、「インテリア」という言葉もなかった時代、カレンダーが唯一壁を彩るものという家庭も多かった記憶がします。

 カレンダーの語源はラテン語の「朔日(ついたち)(calends)」に開く利子台帳、会計簿で、そこから月日を知らせるものの意味になったそうです。古代ローマでは利子の支払いが毎月朔日であったそうです。当時のカレンダーがどんな形式のものであったかわかりませんが、金融業者にとって新しい月の始まりは今の私たちとは気合いがまったく違ったことでしょう。

会社員になってからはカレンダー送りが年末の仕事風景となりました。私の勤務していた会社では国内版、日本の祝祭日の入っていない海外版、和服美人の大型版(これも海外向けです)など何種類もカレンダーがあり、夏ごろ部署別に発注を取りまとめ、年末になると郵送するのが大仕事でした。この宛名書きも住所録を作ってから手書きやタイプ打ちをした時代からワープロやパソコンにデータを入れておきラベル用紙への打ち出すという変遷があり、単純な作業ひとつ取ってもいかに仕事のやり方が変わったか感慨深いものがあります。

バブルの時代へ入り、カレンダーはどんどん豪華なものへ変わっていった気がします。あふれるほどにいただくカレンダーから好きなものだけ選んで使う、そして残りはゴミ箱へ。それと同時にただでくれても嫌いなものは使わない、という風潮も出てきたようです。たとえば、それまではいただいた手帳をありがたく使っていたのに、システム手帳の流行で自分の使い勝手がいいように用紙の構成なども変えるという動きです。おそらく、同じ会社員といっても仕事の専門化がすすんだり、ライフスタイルが多種多様になったためと思われます。

また、カレンダーも多種多様な形状となりました。壁に吊るされたものを共用で見るというより、アポイントを取るときは手帳、デスクで仕事をする時は卓上用と個別化してきた気がします。コンピューターの発達で日にちを入力するだけで営業日でなければ機械が自動的に修正するなど、昔ほどカレンダーでいちいち確認する必要がなくなったからかも知れません。デジタルの置時計で一月分のカレンダーが表示されているものの出現やコンピューターのデスクトップにカレンダーが表示できるようになり、紙のカレンダーにこだわる必要がなくなったせいもあろうかと思います。

そしてバブル崩壊後の長引く不況。年末の風物詩であった企業やお店からいただくカレンダーが激減しました。使わないものを捨てるという無駄は省けますが、何だか寂しい気がします。今年は販売されているものも数字の羅列で書き込み用の空白が大きい実用的なものが目立ちます。カレンダー、それは私にとって年末手にした時、来年への夢や期待を感じさせてくれるもの、です。

2001.12.20

河口容子

12月1日あれこれ

 12月の声を聞くと、日本人のDNAが師走、年内にあれとあれをしなくてはと急にせわしい思いにさせます。また、来年への期待と不安もつのる頃です。ただの新しい月の始まりと思えば何でもないのですが。

 1日に皇太子ご夫妻に愛子さまが誕生されました。午後のご誕生以来テレビは特番にすべて切り変わり、番組の選択の余地がなかったほどです。ワイドショーの常套手段で同じショットを繰り返し繰り返し見せ続けられ、あたかも日本中が欣喜雀躍しているかのような印象の画像でした。毎日ニュースで多くの時間をさいていたアフガニスタンについては急に戦争が止んだかに思えるような扱いぶりで、正直なところ日本のマスコミの常識というか冷静さを少し疑いました。同じテーマを扱うにしても、現在源氏物語が映画化されているように日本の宮中の伝統文化であるとか、皇室の歴史、あるいは皇室ゆかりの場所や品々といった観点からの番組づくりもあれば日本を見直す良いきっかけとなったことでしょう。

 今回の慶事はお子さんがなかなかできず辛い日々を送っているご夫婦や高齢出産を懸念している女性にとっては大きな希望となったことと思います。また、暗いニュースの続く中でこれを契機に景気を盛り上げようという商魂も経済効果としてはプラスになったはずです。内親王様の誕生でまた「女帝論議」もちらほら聞こえて来ました。女帝容認という動きが出てくれば、男子優先の相続観や結婚後の姓、ひいては「ご主人様、奥様」といった用語に至るまで変化が見られるような気がします。

 もし、このニュースがなければ、ビートルズのメンバーであったジョージ・ハリソンの死はもっと大きく取り上げられたことでしょう。私がビートルズを初めて聴いたのは小学校6年くらいで、現役のビートルズを知っており共感した最後の世代かも知れません。ジョージの存在はジョンやポールに比べ控えめではありましたが、インド思想に造詣が深く、自らもラビ・シャンカールの門下生としてシタールの演奏家でもありました。当時の欧米の芸術家たちに東洋の価値を再認識させたのも彼の影響が大きいと思います。「夭折の天才」たちだったのかも知れませんがメンバー4人のうち半分が他界したことで、ひとつの時代の終焉をしみじみと感じざるには得ませんでした。

 生と死という人間らしいニュースで12月は始まりました。私は数年前から年に2回ユニセフに寄付をしています。愛子様のように多くの人々から大切に見守られ、祝福を受けて生まれてくる子供がいる一方、世界中では生まれても疫病や栄養失調で幼いうちに命をおとす者がたくさんいます。また、アフガニスタンのように地雷で身体の一部をなくす子供、初等教育すら受けられない子供もたくさんいます。日本にだって、さまざまな理由で生まれてくるのを拒否される子供、虐待死する子供はたくさんいるではないですか。

 私はこの日と思い、ユニセフへ寄付の手続きをしました。大人たちの身勝手で世界じゅうの子供たちの未来がつぶされないように、奇しくも「愛子さま」というお名前になりましたが、愛し愛される人間に育つように、ジョージのように多くの人を楽しませ、また深い思いを持つ人間になるようにと祈りつつ..

2001.12.13

河口容子