所有欲

 「中国人だったら海外でビジネスするのにホテルとかレストランのように毎日収入のあるものを選びます。危なくなってもお金持ってすぐ逃げられるし。なんで日本人は長い時間かかって工場を建てるようなビジネスを選ぶんでしょう?10年くらいかけないと回収できないですよ。」突然中国人にこう聞かれた私は返答に困りました。確かに日系企業の海外進出というと自動車、家電など製造業の大規模工場が思い浮かびます。現地の人を大勢雇用し、製品を日本に輸出したり、現地市場で販売したり、というパターンです。投下資本の回収には時間がかかり、政情が一変すればすべて失う可能性もあります。

 私が以前取引をしていた米国企業は典型的なファブレスでそのブランドの商品は世界約300ケ所の指定工場で製造されていました。米国の本社は原産国に駐在員事務所を置き、生産管理や船積みのアレンジをするだけです。各工場とは資本関係も人的関係もありません。より安いコストを求めてどこへでも生産地は移っていきます。資金があっても日本の専用物流倉庫は割高なリース契約でした。外国で資産を持ってもリスクが大きい、撤退時に邪魔になる、というのがその理由でした。

 米国、中国の例と重ね合わせると日本人はどうやら土地やら工場を「所有」することが好きな国民のようです。国土が狭く、大昔から陣取り合戦をしていたDNAがそうさせるのかも知れません。製造業を得意とする国で日本式の設備や技術を持ち込まなければ技術的にむずかしいという理由もあるでしょう。かつて未開の地に教会を建て布教していった宣教師のような精神構造に似たところがあるような気もします。工場を建ていつかこの国に自社製品を普及させてやるといった意気込みのようなものです。それがこの国のためにもなるんだ、というようなヒロイズムも。

それにしてもマイ・ホーム、マイ・カー、ウォークマンに携帯電話と大きなものから小さなものまでなぜ日本人は自分専用のものを持ちたがるのでしょうか。何かのクイズ番組でやっていましたが、自分専用の茶碗や箸を持っている日本のような文化は珍しいのだそうです。ローン返済完了時には建て替えなければならないような家を持つより、賃貸住宅にすれば嫌ならいつでも引っ越せるし、改築や建て替えの心配はありません。車にしても公共の乗り物の発達した都市部では必要な時だけタクシーに乗ったり、レンタカーを借りる方が合理的です。これはどうやら「所有する」というのが共通の価値観となっており、利便性という理由をはるかに超えて「持てる人」と「持てない人」の無意識の差別感が生まれる風土のせいのような気がしてなりません。「持てない人」になりたくないから、他の人の持っているものを自分も持ちたい、これが日本人の消費行動パターンです。

 会社にしても「社員」にこだわります。アウトソーシングの方が必要な時に必要な人材を調達できます。社員数を誇示したい、社員をたくさん集めて自分たちの「ムラ」を作れば安心という意識は古いのではないでしょうか。

 「所有欲」と「持ちすぎ」の問題がなければ企業もリストラに苦しむことなく、家の中もすっきり片付く気がします。

2001.02.16

河口容子

ブランド好き

 ニュース番組で唖然としたのは、日本で中高生にも人気のある Pというブランドは市場にある95%以上が偽物だそうです。私自身も以前Nというブランドのビジネスに係わっており、1年間に並行輸入されたTシャツの枚数を聞いて愕然としたことがあります。そんな枚数が並行輸入で出てくるわけがないのです。これもほとんど偽物ということです。

 たぶん偽物ではないか、という疑念をいただきつつ、あるいはわかっていても買ってしまう消費者は上記数字が示すように日本にはたくさんいます。そのブランドが持つデザインの良さや品質はさておき、ブランド名やロゴマークだけが葵のご紋のようにあがめたてまつられるのが日本の市場のようです。

商品のみでなく日本では人間にもブランドが力を発揮します。白川教授のノーベル賞受賞にまつわるエピソードでおもしろいと思ったのは退官しようとしたら日本には良い移籍先がなかったのにノーベル賞を取ったとたんに数校から招聘されたという事実です。大学や研究機関は当然プロ集団ですから誰の研究がすぐれているか見分けはつくはずです。しかし、ノーベル賞というブランドを手にしない限り声はかけにくいほど、内部で足の引っ張りあいがあるのか、それとも実力とはぜんぜん関係ない所で人事は動いているのかと意地悪く勘ぐってみたり、権威がありそうな機関も所詮はミーハーなのかとがっかりもしました。

 世界大会で何度優勝していてもオリンピックでメダルが取れないと評価してもらえないアスリート、どんなにすぐれた作品を書いても直木賞や芥川賞作家とそうでない人の差は大きいし、音楽にしてもバレエにしても世界的に権威ある賞をもらえば日本ではすぐ有名になれてしまいます。

 たとえば、普通のサラリーマンの世界でも大手有名企業に勤務していれば秀才で人格まですぐれた人であるかのように思いがちです。ブランド品でなくてもデザインや性能にすぐれた製品が多々あります。人間はもっと複雑かつ高等な生き物ですから、賞を取った取らない、試験に合格したすべったという単純な視点のみでなく、広い目で柔軟に評価をすれば世の中はもっと潤いに満ちたものになる気がします。

 ブランドに頼ることイコール自分自身に自信がない、大多数の人が一様に認めてくれれば安心だ、それが一流大学卒業、一流企業に就職、高級ブランド品で武装するという日本人の価値観につながっているのではないでしょうか。どんどんエスカレートしていくと、偽物とわかっていても高いお金を出してブランド品を買い、次には身分や学歴を詐称した詐欺にひっかかる、という按配です。

 皆が協力してひとつの目的を追求してきた高度成長時代は終わりました。経済も文化も成熟した時代に入っています。ひとりひとりのもつ個性、多様性がうまくかみあった時に「粋な」ともいえる発明や発見が出て来ると思います。

2001.02.09

河口容子