ブランド好き

 ニュース番組で唖然としたのは、日本で中高生にも人気のある Pというブランドは市場にある95%以上が偽物だそうです。私自身も以前Nというブランドのビジネスに係わっており、1年間に並行輸入されたTシャツの枚数を聞いて愕然としたことがあります。そんな枚数が並行輸入で出てくるわけがないのです。これもほとんど偽物ということです。

 たぶん偽物ではないか、という疑念をいただきつつ、あるいはわかっていても買ってしまう消費者は上記数字が示すように日本にはたくさんいます。そのブランドが持つデザインの良さや品質はさておき、ブランド名やロゴマークだけが葵のご紋のようにあがめたてまつられるのが日本の市場のようです。

商品のみでなく日本では人間にもブランドが力を発揮します。白川教授のノーベル賞受賞にまつわるエピソードでおもしろいと思ったのは退官しようとしたら日本には良い移籍先がなかったのにノーベル賞を取ったとたんに数校から招聘されたという事実です。大学や研究機関は当然プロ集団ですから誰の研究がすぐれているか見分けはつくはずです。しかし、ノーベル賞というブランドを手にしない限り声はかけにくいほど、内部で足の引っ張りあいがあるのか、それとも実力とはぜんぜん関係ない所で人事は動いているのかと意地悪く勘ぐってみたり、権威がありそうな機関も所詮はミーハーなのかとがっかりもしました。

 世界大会で何度優勝していてもオリンピックでメダルが取れないと評価してもらえないアスリート、どんなにすぐれた作品を書いても直木賞や芥川賞作家とそうでない人の差は大きいし、音楽にしてもバレエにしても世界的に権威ある賞をもらえば日本ではすぐ有名になれてしまいます。

 たとえば、普通のサラリーマンの世界でも大手有名企業に勤務していれば秀才で人格まですぐれた人であるかのように思いがちです。ブランド品でなくてもデザインや性能にすぐれた製品が多々あります。人間はもっと複雑かつ高等な生き物ですから、賞を取った取らない、試験に合格したすべったという単純な視点のみでなく、広い目で柔軟に評価をすれば世の中はもっと潤いに満ちたものになる気がします。

 ブランドに頼ることイコール自分自身に自信がない、大多数の人が一様に認めてくれれば安心だ、それが一流大学卒業、一流企業に就職、高級ブランド品で武装するという日本人の価値観につながっているのではないでしょうか。どんどんエスカレートしていくと、偽物とわかっていても高いお金を出してブランド品を買い、次には身分や学歴を詐称した詐欺にひっかかる、という按配です。

 皆が協力してひとつの目的を追求してきた高度成長時代は終わりました。経済も文化も成熟した時代に入っています。ひとりひとりのもつ個性、多様性がうまくかみあった時に「粋な」ともいえる発明や発見が出て来ると思います。

2001.02.09

河口容子