[310]これみな中国の現実

  3週にわたって福建省晋江での出来事を御披露させていただきました。晋江人口 100万都市、かつ国内線の空港もありますが、一般の日本人にとってはきわめてマイナーな都市であると言えます。そこの特段有名でもなく、特殊な技術を持っているわけでもない中小企業が英国での上場を計画し、日本のデザイナーの作品でコンテストを行う、香港の技術を導入して大ファッション・ショーを行う、そして式次第がきっちり決まっているわけでもないのに 300名を越す客を何の粗相もなくもてなす、このパワーに日本の中小企業はもはや太刀打ちできないとショックだったのは事実です。
 世ではお馬鹿タレントのブームですが「あんな馬鹿な人もいるのを見てほっとする」効果があると聞きます。本当に馬鹿なら人前に出てお金など稼げるわけがなく、馬鹿だと信じている人のほうが本当の馬鹿だと思います。これに似ているのが日本でなされる中国に関する報道です。漫画みたいな大金持ちと極貧の人たち。それだけを見て「まだ日本は安泰」などと思っている人が多いのではないでしょうか。私たちのマーケティング上では中国の「中間層」とは弁護士、医師、大学教授、中小企業の経営者、外資系企業の本部長クラスなどを指します。財力、権限、知力をかね備えた層が多く、「中国での中間層の拡大」は日本の中間層なみの生活レベルの人がふえたのとは意味合いが違います。
 海外出張中は極力現地のTVを見ています。中国やベトナムのような社会主義国では統制されているとはいえ、番組を見れば社会や文化のレベルをある程度知ることができるからです。私の泊まった 5つ星ホテルでは60チャンネルを見ることができました。1から60まで隙間なくびっしりです。CCTV(中央電視台)が11チャンネル、そして各省や特別市の放送局などです。これだけTVが発達するのも識字率の低さと関係しているような気がします。中国では1500文字を水準として識字率を出しているそうですが、非識字者が 1億1600万人とも言われています。悲しいことに一時期8000万人台にまで改善されたものの格差拡大により義務教育すら受けられない子供が増加したのが原因だそうです。
 滞在中の大きなTVニュースはふたつ、メラミン混入のミルクとパラリンピックの閉幕でした。ミルクのほうについてメーカーの工場の写真、製品のクローズ・アップから始まり、乳児にどんな症状が出るか、該当する商品を使っている母親は子供を病院に連れて行って検査するように、などと結構詳しくまじめに報道していたのが印象的です。パラリンピックはちょうど閉会したところで一番感動したのは中国の選手名を一人ずつ画面に流し「 331名の英雄に敬意を表する」というテロップが流れた瞬間でした。金メダルの数が減ったのどうのと騒ぐ日本のマスコミのレベルが恥ずかしく思えました。韓国ドラマも健在で中国語に吹き替え、インドドラマもあり、インド人俳優が吹き替えで中国語を話しているのにはちょっと笑えるものがありました。
 福建はお茶どころで鉄観音をたくさん飲みました。日本ではウーロン茶というとペットボトルに入ったものを連想しがちですが、本物の高級品はあのようなお茶ではありません。また、あの価格で売れるしろものでもありません。実に香り高い、キレの良い味わいのものです。昨年胆嚢の摘出手術をしてからは大量の脂分を摂るとおなかをこわしますし、油脂を使った料理を見るだけでも嫌になってしまうのですが、中華料理づけの毎日でもこのお茶のおかげで助かりました。カニなどを食べるときのフィンガーボールにもお茶を入れると指についた脂や臭みも取れるそうです。
 アモイの免税店に中国でも最大級のお茶屋さんがあります。最近は缶に安全シールが貼られています。ここでお茶を買うとチャイナ服のかわいらしい女性がお茶をたててくれます。クッキーやら雷おこしのようなお菓子も「どうぞ」と包みまであけてくれました。一人旅でしたので30分ほどいろいろなお茶をいただいてきました。彼女は片言の英語、私も片言の中国語で楽しいひとときを過ごしました。隣ではお茶のお土産をたくさん(たぶん数万円分)買った女性がスーツケースに詰め込むのに必死です。お店の女性がせっせと手伝っているのが何とも微笑ましく、私の相手をしている女性も「お客さん、これで一息入れて」とばかりに女性客にお茶を差出ました。女性客も私もお店の人たちも皆顔を見合せてにっこり、今の東京ではなかなか見かけられなくなった優しいひとときでした。
河口容子

[309]晋江への旅(3)男は酒飲み、女は美人

晋江でのファッション・ショーのために用意したデザイン画の出来栄えには日本人の感覚としては自信があるものの中国の方たちがどのように受け止めてくれるのか不安でした。過去に日本企画のアパレルを香港や上海に輸出していましたので大都市の傾向はわかるのですが、この W社は地方都市に強いと聞いていたので手探りでの挑戦でした。2008年 6月19日号「夢への挑戦」で書いたように中国でのデザイン・ビジネスはここ数年来の私の夢でもありました。「小さな一歩かも知れませんが私の夢をかなえてくれた W社に感謝いたします。」と私はステージの上からスピーチを行いました。そして、「日中のビジネス交流のみでなく文化交流事業として、日本の若手デザイナーが W社の発展を支え、また日本の若手デザイナーの世界最大の市場への登竜門としてこのイベントを続けていただきたい」ことをお願いしました。演壇の横に出ておじぎをする私に惜しみない拍手が降り注がれました。
総合商社からコンサルタントへ、いずれも黒子の世界ですからこうやって表舞台でたくさんの方から拍手をいただくことはめったにありません。多くの方に喜んでいただける仕事をする、これは今まで私の生命を支えてきてくださった方々への間接的な恩返しでもあります。1
ショーの後、宴会場の入口周辺で飲み物が配られ始めると英国人の金融コンサルタントや中国系カナダ人の銀行家が「とても良かったよ」と握手をしに歩み寄ってくれました。 C総経理も「成功です。私たちこそ夢をかなえるのに尽力していただいたことを感謝します。」とおっしゃってくださいました。日本デザインを着用したモデル二人も会場に残り、そこには一緒に写真を撮ろうとする参加者が殺到しました。壁面には入選作のオリジナル・デザイン画とデザイナーの写真が貼り出されてあります。それを 1点 1点楽しそうにながめる人、「これが好き」などとわいわい仲間とはしゃぐ人、人、人。彼らをスクリーンに映し出される日本の若手デザイナーたちがやさしく微笑んで見ています。
実は2008年 9月25日号「晋江の旅(1)」のサイコロ・ゲームを仕切っていたこわい顔の小柄なおじさん H氏(天津の問屋のボスです)を初日にしてムード・メーカーかつキー・パーソンと見抜いた私は朝から顔をあわせるごとに「ニイハオ」とご挨拶攻撃。この人に嫌われると台無しという直感がしたのでしょう。功を奏してか H氏もグラスを片手に周囲に聞こえるように「良かったよ、あれは売れるね。」
この夜の宴会はまたもや中華ですが、昨夜より人数が増えたので 3テーブルとなりました。私たちのテーブルは英国人、カナダ人、香港人だけ。香港の金融コンサルタントが「CCTV(中央電視台―国営放送)4(チャンネル)チームだね。わかります?」と言いました。「英語放送のことでしょう?見ました。」と私。私たちのテーブルは英語。他のテーブルは北京語や福建のお国言葉が飛び交っているようでした。
他のテーブルから誰かが乾杯にやってくると皆起立してそのたびに乾杯、自分たちからもグラスを持って他テーブルへ乾杯に行きます。「これでは血圧の不安定な人なら倒れるかも知れないわ。」と隣に座った香港人女性に話しかけると「中国で成功する条件として男性はお酒がたくさん飲めること、女性は美人と言いますよ。」「じゃあ、あなたは十分すぎるじゃないの。」「いえいえ、あなたほどでは。」と女性どうしでエール。
日本人男性の 9割以上は私のことが苦手か嫌いです。小うるさい、仕事中毒、こわいもの知らず、それを通り越して「脅威」という人までいます。「仕事に厳しすぎる」と上司にまでぼやかれたほどです。ところが、中国人から見ると美人に見えるらしく、まさに捨てる神あれば、拾う神ありです。女性に気分良く仕事をさせて自分も恩恵にあずかろうという点では中国人男性は日本人男性より何枚も上手と感じる瞬間です。いつも私の周辺にいる香港の男性群に北京からの来賓の国際弁護士、神舟ロケットの関係者、日本語の片言を並べてはすり寄って来る台湾人のお兄さん。中国系カナダ人の銀行家の「この後ドバイへ行くから一緒に来ませんか」を 2日間断り続けました。 C総経理は「ありがとうございました。」を繰り返し、握手した私の手をじっと握っていました。広報の写真班はもういないのに。あれほどこわそうだった天津の Hさんもホテルの玄関に立っている所を「イー、アル、サン」と声をかけて写真を撮ると初めて照れくさそうに笑ってくれました。
夜遅くホテルのすぐそばの水辺(晋江の支流でしょうか)から次々と花火が上がりました。ちょうど15年ほど前の同じ季節にコペンハーゲンでチボリ公園の冬の閉園を告げる花火をこうやってホテルの窓からぼんやりと眺めていたのを思いだしました。晋江の花火は何の目的だったのか聞くのを忘れてしまいましたが、ファッション・ショーの成功を華やかに彩る思い出として心の中のアルバムにずっと残り続けることでしょう。
河口容子