[204]アセアン横丁のにぎわい

 9月の第1週めは秋の訪れを告げるインターナショナル・ギフトショーの開幕と言いたいところですが、毎年残暑が厳しく日本人はへばっていますが、アセアン横丁の住人たちは元気いっぱいです。インドネシア、タイ、ベトナムとどんどんブースが増えるため今年は横丁どころか大通りの感がありました。
 ブルネイからの2社は過去に招聘先選定業務で訪問した先です。1社は刺繍製品で日本のグッドデザイン賞を受賞した女性がオーナーです。今回はお嬢さんと一緒の来日で、お嬢さんがブースで記念写真を撮ってくれました。彼女は素材と刺繍糸とのカラーコーディネートやデザイン・コントロールに抜群のセンスを見せます。来日のたびに日本向けにパンフレットや名刺のデザインを改良して持参するという努力家でもあります。
 マレーシアのステンレス製のアクセサリー・メーカー。社長とは2年ぶりの再会ですが覚えていてくれて日本に代理店ができたことをうれしそうに報告してくれました。
 ベトナムの商社では先月の私のセミナーに来られた個人事業主の女性が刺繍製品の商談中。この商社の女性マネージャーは日本語が堪能、頭が良くて努力家です。日本人女性はいろいろサンプルを作って持ってきてくれたことに大感激。マネージャーのほうは白に真紅の刺繍のアオザイ姿で私を見つけるやいなや腕を取って「紹介してくださってありがとう。」女性どうしで商談に花が咲いたようです。このベトナムの商社は日本の総合商社にも輸出しているような大企業ですが、こうして個人事業主のリクエストにもきちんと応える姿勢には頭が下がります。マネージャーとは商談後、歩きながらお土産の交換。昨年の秋以来何回か会っているせいかすっかり仲良しです。
 インドネシアのエリアでもはや常連さんともいえる女性を発見。ジャカルタにブティックを持っていますが、最近バリにもお店を出したとか。彼女は来日するたびに日本のファッション雑誌を山ほど買って帰り研究するので日本人の好みを知り尽くしています。バティック布できたぬいぐるみの小さなカメさんをいただきました。「思ったより重いんですね。」「海の砂が入っています。」インドネシアでもカメは長生きのシンボルだそうです。カエルのモチーフもよく見かけますが、誰に聞いてもこれはあまり意味を持たないようです。
 国際機関の休憩所でコーヒーをいただいているとタイのブースの女性がやって来て女の子の形をしたピンバッジを差し出し「これをどうぞ。その代わりに名刺をください。」あとで商談記録を提出しなければなりませんので、名刺は最低限必要です。ピースマークのようなニコニコ顔でブースから出て来てはコーヒーテーブルをふいたり、スプーンをそろえたりで、「明日、お菓子を持ってきてここで1ケ100円で売ろうかな」などとジョークを飛ばすので出展者の中でも人気者です。
 そうこうするうちにベトナムの貿易促進機関の部長が私を探しに来てくれました。昨年現地でセミナーをやらせていただいた際にお世話になって以来です。ハノイ貿易大で日本語を専攻した彼は日本語がぺらぺら。「いつもベトナムのためにありがとうございます。」とお土産をくださいました。実は4月にハノイを自社の仕事で訪問したついでに貿易促進機関の皆様に日本のお菓子を差し入れました。オフィスが改装中で仮住まいであったため場所がわからず、若手スタッフの携帯電話に電話をかけ通りまで取りに出てきてもらいました。重要な会議中のようでしたが、会議メンバーのひとりはこの部長ですから、そのときのお返しかも知れません。上述の商社のマネージャーといい、ベトナムの方は義理堅い方が多いようです。
河口容子
【関連記事】
2005年12月8日「続 アセアン横丁の人々」
2004年9月18日「アセアン横丁の人々」

[203]トインビーの予測

 最近、1967年にアーノルド・J・トインビーが来日したときの「予測」について聞いたり、読んだりする機会がふえました。同氏は1889年に生まれ、1975年に亡くなったイギリスの有名な歴史学者です。
 その「予測」とは、「これからの日本はどうなるのでしょうか」との問いに「日本は必ず成功する。自分は歴史学者なので10年、20年先のことはわからないが50年、 100年先のことならわかる。」と言い、「今は米国が大事かも知れないが、いずれ中国が大切な相手となる。日本が中国と一対一で向き合うと過去の戦争のようなことになるので考えないほうがいい。東アジアでは、日本、朝鮮半島、ベトナムという良い国があり、いずれも集中力があり成功する。この 3国で協力して中国と語りあうのが良い。」というものです。
 当時の日本は第 2次佐藤内閣、子どもに人気のあったのは「巨人、大鵬、卵焼き」の時代です。若者たちの間ではラジオの深夜番組やグループ・サウンズが流行り始めた頃です。米国ですらまだ大規模な黒人暴動の起こっていました。中国は文化大革命、韓国は軍事政権から民政に変わった年で民主運動が起こるのは1980年代です。ベトナムはもちろん戦時中。その中でトインビーの予測は当時かなり大胆なものであったと言えましょう。予測から40年ほどたっていますが当たっていることに驚きを覚えますが、歴史学者というのは何百年、何千年というスパンでものを見ますのでものごとの道理や本質を見抜けるのかも知れません。
 日韓関係は政治的にはぎくしゃくしているものの、文化、芸能、スポーツ、観光を通じて急接近しており、韓国の方にとって「日本語」を話せることはステータス・シンボルのようです。一般の方にはわからないかも知れませんが「中国製」といっても韓国系の工場で生産しているケースも少なくありません。私の取引先(日本企業)は中国に提携工場を数社持っていますが、いずれも韓国系です。
 一方、ベトナムについては「日本語話者世界一」を国家政策としていますが、他のアセアン諸国と比べ最も日本人にとって違和感がない民族ではないかと思います。アセアン10ケ国の方々とはすべて仕事でお会いしますが、ベトナムの方はたたずまいやリアクションが非常に日本人に似ていると思います。
 ベトナムの北側はすっぽり中国におおわれており、またトンキン湾には海南島がせり出しています。中国はベトナムをアセアンのゲートウェイとしようとしており、陸上輸送の効率化や通関の簡素化が期待されています。また韓国からベトナムへの投資も日本同様非常にさかんです。4月にハノイの国際見本市会場に行ったときは、韓国企業の出展の多さに圧倒されました。トインビーの予測したアジアのリーダー国は今、ベトナムを接点として集まってきています。
河口容子