[163]南の島へのあこがれBIMP-EAGA

 読者の皆さんは BIMP-EAGAをご存知でしょうか。ビムピアーガ、最初の 4文字はブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンの国名の頭文字を取っており、後の 4文字はEast ASEAN Growth Area、つまり東アセアン成長地域という意味です。先日、東京でBIMP-EAGAへの投資セミナーが開催されました。
アセアン諸国は、政治体制、言語、民族、宗教、人口、面積と実に多様で、経済発展にもかなりばらつきがあります。今脚光を浴びているのは「大メコン経済圏」というベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーというインドシナ 4ケ国にタイと中国をあわせたメコン川流域の開発です。
一方、 BIMP?EAGAはブルネイ(ボルネオ島にあります)、インドネシアのカリマンタン、マルク等、マレーシアのサバ、サラワク等、フィリピンのミンダナオ、パラワン等の島嶼地域で合計人口は約5,750万人、合計面積は約160万平方キロ(日本の4倍以上)です。1992年にフィリピンのラモス大統領により4ケ国により共同開発構想が提案されましたが、1990年代後半の経済危機により停滞し、2003年10月の首脳会議で運輸、観光、産業の 3分野を優先分野として再活性化することで合意されました。豊かな森林資源(域内の 60%が森林)、鉱物資源(石油、天然ガス)、漁業資源という自然の恵み豊かな地域で、農業が基礎産業(米、ココナッツ、パームオイル、ゴム等)です。大メコン経済圏を大陸のアセアンとするならば、 BIMP-EAGAは島のアセアンで、個人的には南の島への憧れからどうしても後者のほうに魅かれてしまいます。
 通常、国別ないしは一国の行政区分ごとに投資セミナーは行われますが、このセミナーは 4ケ国の政府担当者が講師として集まりました。アセアン諸国はその多様性ゆえに、EUのようにまとまらないと言われて来ましたが、BIMP-EAGA についてはテーマごとにリーダー国が決められており、運輸とインフラの開発はブルネイ、天然資源開発はインドネシア、観光開発はマレーシア、中小企業の育成はフィリピンとそれぞれの国の特徴を生かしたリーダーシップの下、多国籍チームで活動を行なっています。
 セミナーでは BIMP-EAGAに投資をした日本企業の経営者による講演もありました。多国籍展開をしている電子部品メーカーはマレーシアのクチン(サラワク州)に工場を作り、マレーシア人2,200人を雇用し、24時間操業を行なっています。女子サッカーチームがクチンで強いのがご自慢のようです。熱帯雨林と電子部品、ちょっと想像を超える組み合わせではありませんか?もう 1社、こちらは鹿児島県のさつま揚げと冷凍食品の会社ですが、安全な食を求めてミンダナオ島ダバオに会社を設立しました。この企業は地元との連帯と発展を願い、10年間で東京ドーム2000個分の植林を行なう計画です。
 日本国内ではあらゆる点でリスクを避けたがる傾向が目立ち、いかに楽をしてお金を稼ぐか、また拝金主義に満ち満ちています。それに比べ、まだ開発途上の地域で、工場を立ち上げるのは並大抵なことではありません。その勇気と努力に私は心から拍手を送ります。そして、熱帯雨林に癒される彼らを羨ましくもあります。
河口容子

アセアンの国から -3-

 最終訪問国はフィリピンです。親日的なインドネシアと違い、ここは日本軍の占領の歴史を持つ国だけに、対日感情もあまり良くないと聞いていました。一緒に仕事をした政府機関の若い女性によれば「フィリピンはスペイン、米国、イギリス、日本に支配された歴史がある。だからとてもフレキシブル!」とはじけるような笑顔です。

 マニラにも 3泊しましたが、ここでのハイライトは何といってもルソン島南部レガスピでの体験です。朝 4時半に起き、マニラから空路でレガスピへ。テロ撲滅作戦で警備が厳重な上に、チェックインの作業の遅いこと、離陸も遅れるし、とにかくここでは何もかもどうしてそんなに時間がかかるのか不思議を通りこして不安になってしまいます。同行してくれた上述の女性はいつも時間より早めに現れ、200%の気配りでサポートしてくれるのですが、彼女のパーソナリティによるものなのか、訓練されれば皆そうなるのか、これまた謎でした。

最初の訪問先はレガスピ空港から車で 2時間のソルソゴンにあります。私たちの乗った飛行機は 8時半到着予定ですが、出迎えに来てくれたその会社のオーナーは 7時半から空港で待っていてくれたとのことです。この辺りは日本ではまだなじみが薄いもののマヨン火山が見え、かくれたリゾート地で結構外国人の姿も見受けられます。山、水田、わらぶきの家、牛と、椰子の木さえ除けば昔なつかしい田舎の風景がどこまでも続きます。

道路から子どもたちが飛び出して来るので警笛を鳴らしながら車は進みます。マニラのデパートではフロアのほとんどを子ども用品にさいている所もありましたが、都市では一家に子どもは3-5人、地方に行けば 5-10人も普通というお国柄だけあって、日本ではもう見られなくなった「子どもだらけの世界」に遭遇します。

 この日は会社のオーナーの若きご夫妻と面談した後、手作りのお料理を一緒にいただき、自然のままの白い砂浜の続くビーチのあるホテルで歓談しました。日本の都会ではもう持てなくなった時間です。見上げればまぶしい青空、海をわたるすがすがしい風の中、彼らは仕事への情熱を淡々と語ってくれました。

 日曜日、ガイドが探せず困っていた私たちに急遽ガイド役をかって出てくれのが地元の青年実業家でした。日本企業に勤務経験があり、日本にも 1年いたという彼は夜中 3時半に帰宅したにもかかわらず、 8時半にはホテルに颯爽と現れ、マヨン火山をはじめ、ホヨポヨパン鍾乳洞やフィリピンを代表するデザート、ハロハロの老舗など地元を一周するほど連れて行ってくれました。ここビコール地方はギネスブックに出ているほど辛い料理で有名な所ですが、辛いものの苦手な私に彼のお母様がわざわざ手料理でもてなしてくれました。

 また、これまた地元の若き実業家ですが、美人で実業家としても敏腕の妹さんたちを引き連れ、楽しいディナーに誘っていただいた上に、次に来る時のためと何と地元のホテルを順々にまわり、従業員にいろいろなタイプの部屋を開けさせ、中までわかるよう案内してくれたのです。

 彼らは皆大家族ですが、いつも笑いが絶えません。大人数で楽しく暮らすということは、一人一人がかなり気遣ってがまんして暮らすことが必要であろうと思います。日本ではいつしか大家族は恥ずかしいことになってしまったのはなぜなのでしょうか。どこの家族でも母親がとても尊敬されていて、私たちのようにお客さんが来ると必ずお母様が挨拶に出て来られます。ビジネスをやっている家では経営者として辣腕もふるっています。たくさん子どもを産み育て、いつまでも尊敬され家族の中心でいる、これは女性冥利につきると思います。日本ではいつしか「量から質へ」ということが重要視されるようになりましたが、はたして質のいい子どもたちが育ってきたのでしょうか。

 視点は変わりますが、外国人の旅行者にとっては短い滞在期間に見たもの、会った人がすべてその国の印象となります。はたして、私たち日本人は私の出会ったフィリピンの人たちと同じような「心からのもてなし」をしているでしょうか。「日本人はゆとりがないから。」と言う人がいます。旅行に行き、高級レストランで外食もでき、ブランド品も買えるのにゆとりがない?つまり、心にゆとりがないのは人間として一番貧しいということを思い知らされたフィリピンの旅でした。

2002.04.11

河口容子