「世界の工場」という呼び名がすっかり定着した中国ですが、急速な経済発展とともに実は産業政策の転換をせまられています。具体的な話がニュースに出ていました。広東省を代表する工業都市である東莞市は10年以内に現在の人口約1,200万人から800万人にするという数値目標を出しました。出稼ぎ労働者の大量流入により、土地、水、電力の不足や治安の悪化、環境破壊が問題となってきたのがその理由で、労働集約型産業を移転させる一方、ハイテク産業の誘致を進めているそうです。
東莞市の面積は東京都全体より少し大きく、人口はほぼ一緒です。東京都で人口が多すぎるため(昼間人口はもっと多い)水が出ない、電気が止まるという不安は誰も持たないことから、中国のインフラ設備の水準もまだまだと言わざるを得ません。
中国の戸籍制度は「戸口」といい、原則は生まれたところに登録されます。戸口には都市戸口と農村戸口があり(ただし12の省ではこの二元戸制度は撤廃されています)、農村戸口は都市戸口に簡単に変えることができません。つまり、農村に生まれたら都市で働くには出稼ぎ(期限付きの労働者)になるしかなく、日本のように農村から出て来て都市で正社員として働き、ずっと都市で住むことはできません。朝から晩まで都市生活をエンジョイすることもなく一定期間働き続け、故郷の農村に戻ると今度は少し若い世代がまた出稼ぎとして都市に出てくる、というシステムを繰り返して来たので安価な人件費を維持できるというのが長らく中国の強みでもあったわけです。また、戸口は所属する機関や企業によって管理されるはずなのにみるみる人口が膨れ上がったということはこの管理システムが機能しなくなったともいえます。
今後は最低賃金を引き上げて企業に自主的な移転をせまり、ハイテク産業を除き投資額 100万米ドル以下の企業進出を認めない方針で上記の人口調整をやろうとしています。この労働集約型産業と小規模メーカーの進出を排除しようとする動きは全国規模で出ており、それがタイやベトナムへ投資を向かわせています。
香港と広州市の中間に位置する東莞には、香港系9000社、台湾系が5000社、その他の外国企業が2000社おり、衣料品、日用雑貨、玩具、電子製品、パソコンなど重工業以外の産業が集まっています。そもそも中国の経済発展は外資が牽引車となってきたところが、戦後の日本の発展とはまったく違うところです。日本は民間資本が充実していたために長らく安定雇用の下、人も技術力もじっくり育てることができました。東莞に投資した外資系企業の多くはこれから閉鎖か移転という選択肢に迫られます。また、東莞に契約工場を持っている外国企業も新たな調達先を探さなければならないかも知れません。
中国も今後どうなるのでしょう?ハイテク産業への転換は口で言うのは簡単ですが、一般的な教育水準はまだまだ低いです。ただでさえ二極分化がはなはだしく、人口も多い国では労働集約型産業もどこかで維持しておかねば全体の底上げができないのではないでしょうか。たとえば今発展している大都市が次々と東莞のような政策を打ち出せば、出稼ぎの人たちは他都市へ職を求めて流れて行くか、農村へ戻るしかありません。それが更なる二極分化と治安の悪化を生むような気がしてなりません。
河口容子
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[173]アジアのホリデー・シーズン
早いもので今年の 5月には起業 7年目を迎えます。ビジネスのフィールドを中国と東南アジアに絞りこんでからは 5年ほどになりますが、この多彩な国々を象徴するのが、次々と秋冬に繰り出されるホリデー・シーズンです。まずは10月 1日から始まる中国の国慶節。
昨年12月 8日号「続・アセアン横丁の人々」で紹介した国際家具見本市は11月下旬の開催で、そこで再会したブルネイの女性政府職員はちょうどラマダン月での来日でした。日没以降しか食事を取れない彼女に「ダイエットにはいい?」と聞いてみたところ、「夜、脂っこいものや甘いもので一度にカロリーを取るからかえって良くないかも。」と彼女は半分不安顔でした。断食明けのハリラヤ祭では日本の打ち上げ花火がブルネイの夜空に大きな花を咲かせたと報道を目にし、彼女もこの花火を見て、いつもの満開の笑顔に戻ったことを勝手に想像しました。
そして、クリスマス。ジャカルタからニュージーランドのオークランドに移住した10年来の友人 D氏からは彼の母親と弟妹家族が住むオランダでのクリスマスを迎えたとのメールをもらいました。彼がオランダに行くのは何か重大な事が起こったとき、今回はどうやらニュージーランドで新しく始めるビジネスの報告や相談に行ったようです。私にも「どう思う?君は永遠の友達だから意見を聞いてから決断するよ。だからなるべく早く返事がほしい。」と書き添えてありました。私は彼のアイデアに賛成し、実務の相談相手としてジャカルタに住むある富豪のビジネスマンの名前をあげました。一緒に食事もしたことがある仲です。
そして、D氏のジャカルタのビジネスパートナーであった女性の友人にも久しぶりにメールを書きました。2002年 6月13日号「アジア人から見たニッポン」の主人公です。「私みたいな変なのを覚えてくれていてありがとう。」「忘れたことはないわよ。だって私の父方の祖母に似ているんですもの。」「そうなの?私みたいなひっちゃかめっちゃかな方だったの?だったら思い出したくないわよね。」「あなたのようにとても明るくて、行動的な人だったわ。誰にでも親切だったし。」「それはありがとう。」そして、 D氏は母方の祖母にそっくりであることも話しました。「あなた方は神様が私に敬愛するようにお遣わしになったのだと思っているの。」「 D氏も近日中にジャカルタに来るから、じゃあ私たちの孫娘の話をするわ。」とユーモアたっぷりに彼女のメールは締めくくられていました。
そして日本のお正月。日本のある取引先の社長は必ず元旦にメールをくださいます。そこで仕事の連絡などもついでにしてしまうのですが、中小企業の経営者というのは 365日仕事で頭がいっぱい、またそれも楽しみのひとつです。香港のビジネスパートナーとは、日本のお正月を機に「今年の方針」を策定するのが年中行事です。
その次は中国の春節(旧正月)です。中国の経済成長に伴い、この季節には日本にも多くの観光客が訪れます。最近とみに感じるのは、外見ではまったく見分けがつかず、言葉を聞いて初めて中国の方だとわかることです。不調だった香港ディズニーランドもこの季節を迎え、入場規制が出たとのニュースを目にしました。
東南アジアも旧正月はお休みのところが多く、昨年からコンタクトを始めたベトナムのハノイの総合商社もしっかり 1週間お休みです。2005年11月10日号「ローレンスと呼んで」のシンガポールのローレンスは旧正月の休みが明けたとたんコンピューター・ウィルスにやられ、私が持っているファイルを転送してあげることになりました。「アジアのホリデー・シーズンの熱狂ぶりを欧米人は理解しない」と欧米人のクライアントに不平たらたらのローレンスですが、ウィルスの熱狂ぶりにはさすがにショックだったようです。
河口容子