[308]晋江への旅(2)いよいよファッション・ショー

話は先週号に続きます。晋江での詳細なスケジュールなど誰にもわかっていませんでした。アセアンの仕事はこういう事もよくありますので慣れています。私自身は準備なしに即対応できてこそプロだと思っていますので不安どころか興味しんしん、次は何が起こるのかしらとテンションが上がってしまいます。
到着した翌日の朝、香港人の D氏と外国人用コーヒーハウスでおちあい朝食を取ることにしました。何と W社はロンドンでの株式上場を準備しており、英国人の金融コンサルタント、中国系カナダ人の銀行家、香港人女性の通訳が続々と集結しました。香港人の訪問者たちはずらりと14階に部屋があるようで、最上階である15階に私の部屋があると知って昨日は「なぜ?」という顔をした D氏ですが、英国人、カナダ人も15階にいることがわかり、ショックの色を隠せませんでした。香港人は本土の中国人とは違うというプライドがあるからです。なぜフロアを分けられてしまうのか。英語のほとんど通じないホテルだけに単純に北京語がわからない人たちを隔離しているだけと私は思ったのですが、香港人たちはそうは思えなかったようです。
午前中は工場見学です。ホテルから工場の大きなロゴマークが見えるくらい近く、車を連ねて5分ほど。門に続く赤と金のドラゴンの歓迎のアーチを 3回くぐります。中規模の工場ですが2棟あり、社員寮も隣接しています。シューズやアパレルのショールーム、モデルショップの展示もありました。おそろいのグリーンのポロシャツを着た大集団が大会議室にいるのに遭遇。聞けば全国 600店舗の店長や仕入担当者、問屋が発注をかけているのだそうです。この日で半年分の注文が確定するのです。真剣かつお祭り気分。
応接室では、薫事長(経営者の長)の義理の弟さんが鉄観音のお手前でもてなしてくれました。福建はお茶で有名です。中国では客人に主がもてなすのが風習。この会社は同族経営ですが、静かで知的、上品な一族です。日本では会社訪問をするとたいてい女性がお茶を運んで来て立ち去りますが、中国式が本来の姿ではないかと思います。
ホテルに戻り、ランチは香港のIT関係の企業と別件の打ち合わせ。男性 2名と女性 1名ですが、皆いとこ同士なのだとか。彼らは 3時半から始まるファッションショーの準備にやって来たのです。昨夜は夜を徹して準備をしたという割には元気いっぱいです。
そして、いよいよファッション・ショー。私たちの泊まっている 5つ星ホテルの大宴会場に大きなステージが組まれました。ランウェイの両側には 300人を越すグリーンのポロシャツ集団。中国全土から集まった販売店、問屋の皆さんたちです。ステージ奥の巨大スクリーンに映し出される画像、モデルたち、音響、スモークと先進国で見るファッション・ショーと何ら変わりはありません。ここが晋江であることを忘れてしまいそうです。
来年の春夏コレクションが紹介された後、「香港プラス日本」という国際色を打ち出したラインの紹介。いよいよ日本の若手デザイナーの作品のお披露目です。ファッション・ショーの日が突然半月ほど前倒しになったため 100点近くの入選作のサンプル作製は間に合わなくなり、あきらめていたのですが、D氏が頑張ってモデル 2名分を香港で仕上げてくれました。中国人の好きなビビッド・オレンジをテーマにし、日本のストリート・ファッションのトレンドを取り入れたおしゃれなスポーツウェアです。
「司会者が紹介する、あなたはステージに上がる、モデル二人がランウェイを先に歩き、袖に入ってからスピーチをお願いします。」香港の広告代理店の台湾人のディレクターにこう言われたのがショーの始まる 5分前。スピーチは日本出発の 2日前に依頼されたので用意しましたが、ファッション・ショーのステージに上がるとはまったくの想定外。もともと絶対失敗だけはしないという自信があるのですが、ステージの上にまで上げてもらえるなら大成功にするしかない、それがデザイナー17名の気持ちを背負った小さな私の責任です。
カクテル・ドレスを着たエスコート・レディが私を壇上へ案内してくれました。さあ、私の出番です。おじぎをしてから演壇の前に立つとモデルの登場です。スクリーンにはこのプロジェクトに携わった日本のデザイナーの写真やビデオが順々に映し出されていきます。私の頭にも 4ケ月の出来事が浮かんでは消え、浮かんでは消えていきました。ショーの結果は来週号をお楽しみに。
河口容子

[250]香港人と夏

 2003年 7月24日号「香港一家がやって来た」で触れたように私にとって夏の季語は香港人のようで、 7月以来香港から来る案件ばかりに押しつぶされそうになっています。
 会社員の頃から香港ビジネスマンたちと取引経験がありますが、中小企業のオーナー達はお金持ちでいかにお金を増やすかに始終頭をめぐらしており日に何度も方針が変わるなんて朝飯前。たとえば香港向けアパレルの輸出の話があり、日本のメーカーとえんえん話を詰めた段階で「PCのビジネスのほうが儲かるからアパレル買付資金はPCへまわすことにした」と香港から電話 1本で話をひっくり返されてしまった事があります。この香港人、上司と非常に親しいというので信頼していただけに目が点になった後、気がぬけて呆然としてしまった事があります。実はこの会社員時代の経験が2002年11月14日号「香港億万長者とビジネスする方法」に生きています。
 香港人は悪く言えばせっかち。思いつけばすぐばたばたと行動に移します。「会社のお金」ではなく「自分のお金」意識ですから誰に遠慮することもありません。また、日本人のような専門性へのこだわりや会社の社会的意義だのと難しい事も考えませんので、儲かると思えば新しいビジネスに勇猛果敢に取り組んでいきます。買収や自分の会社グループのスクラップ&ビルドもあっと言う間にやってしまいます。この辺が日本人から見れば香港人は「何をやっているのかよくわからず信頼できない」、逆に香港人から見れば日本人は「愚鈍、保守的」とこうなります。
 私の仕事は彼らの構想を基に相手にとってベストなビジネス・スキームを組みたて必要な企業や人材の配置を行い、さらに実務上のサポートをしていくことです。構想そのものが甘い場合はわざと相手をじらして熟慮、再考してもらうことにしています。相手は最初、私が嫌がっているのかな、仕事がのろいのかな、と不安になるようです。しかし、構想が煮詰まったとたんにお膳立てはさっと整い、今度は私が「早くやりましょう」とせかすので相手はうろたえ、「少し整理する時間をください」となります。この決して相手に振り回されずに必要なことにはきちんと時間をかけ、すぐできるものは鮮やかなほどのスピードで誠意をもって処理する、というのがどうも信頼や評価を得ているポイントのような気がします。
  7月には香港の知人が夫婦で北海道1周旅行、その後東京にやって来て打ち合わせました。事前にメールで相談した案件以外に2件もプロジェクトを持って来て私に手伝ってほしいと言うのです。最初の1件だけでもかなり難度が高いのに、有難いような迷惑なような、と思っているところに、8月になって香港のビジネスパートナーがこれまた北海道に講演に行きました。かなり評判は良かったらしく、いろいろ新規ビジネスを考え始めたのか、何度もチャットで呼び出され、おまけに「私の会った日本人は皆ほとんど英語ができなかったのであなたがフォローすると言っておいた」という按配です。私は事前に一切何も聞かされていないのでたまったものではありません。ただでさえ風邪で絶不調のところに、はっぱをかけたいのか電話まで香港からかけられたまったものではありません。元学者だけあって、頭だけどんどん先行してハイテンションになるのが毎度。そこで打ち水とばかりに「○○とXXを整理していただかない限り、私は前へ進めません」と「考え中」の絵文字つきでチャットで返すとしばらくして頭が冷えたのか全容が見える内容に。しばらく別件にかかりきりでおとなしかった香港のビジネスパートナーですが、相変わらず2005年 9月 8日号たとえたように「嵐を呼ぶ男」のようです。あとは私の最も暑い夏が無事に過ぎるのを願うしかありません。
河口容子
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