第29回 経管胃ろう(4)~職員数と現実~

2018年8月29日

こんにちわ、永礼盟です。いつも購読していただき、有り難うございます。

杉山さんの状態が良くなって行っていると、職員同士で話し合っていた時だったので、疥癬発覚はとても残念でした。カンファレンスでは、暗い面もちの我々がありました。

杉山さんだけでなく、他の入居者からも疥癬が見つかりました。対応方法が、話し合われます。毎日のシーツ交換、居室掃除等、通常の疥癬対応に、心のケアと経管胃ろうの両立を達成する事を言い渡されます。

1対1のケアを行う事を告げられます。1日、杉山さんだけのケアをすると言う業務分担を作ったのです。経管胃ろうは勿論、清拭、シーツ交換、軟膏塗布、様子観察、全てがその日、杉山さん対応になった職員が行うと言う物です。

1人の職員が、1人の入居者だけのケアをすると言うことに慣れてない職員は、どうしても杉山さんのケアの合間に、他の業務に加担しようとしました。そうしないと業務が回らないからです。ここで、現場と会社の意向が分かれる事になります。会社は、命令したのだから実行しろと、現場は、これでは他の業務が回らないと。会社からの指示は絶対だと思います。しかし、業務が回らない事が目に見えて解るのに、杉山さん対応の合間に何も出来ないことが、職員同士の間でもどかしかったのだと思われます。

実際に、この業務をしてみると、初めて充実したケアを体験できました。じっくりと状態を観察し、事細かく記録する事が出来る。経管胃ろうに始まり、経管胃ろうで終わる、この業務が自分でとても魅力的に感じるようになりました。

疥癬の状態は、本当に酷かった。体中が真っ白に剥けて、その皮膚からは物凄い数のヒゼンダニが居ると思われました。週に三回のγーBHCの塗布を行います。経管胃ろうが終わると、軟膏塗布。しばらく様子観察をし、清拭してシーツ交換。今度はオイラックス軟膏の塗布。その度に居室の掃除。1日同じ方に接することが出来るので、心に余裕が生まれます。その余裕は、優しい気持ちになれ、自分はとても満足なケアが出来たと思っています。

自分が、杉山さんの居室で1人を見ている間、他の職員は業務に追われ、朝から晩まで走り回っているのです。通常、日勤帯での人数は3~4名で回しています。多い日で、7:00~20:00の間に最高5名の職員。その中に施設長と施設長補佐、ナースも含まれるので、実際にケアを行う職員は2~3名です。その職員数で20人を見ています。そこから1人が、他の業務に加担しないとなると、通常業務の職員はいつも以上に走り回らなくてはいけないのです。まるで、嵐の様は激しいのに、その中心は穏やかな、台風の目のように。

勿論自分も、杉山さん対応でない日は、一日中走り回ります。会社は、1対3のケアに拘ります。現場はこれだけ走り回り、いっぱい、いっぱいなのに、職員数は、1.5人多いぐらいだと言われます。「アホか?」と思います。職員の入れ替わりが多い理由はここにあります。私立の老人ホームで、なぜ特別養護老人施設の最低限の職員数に拘るのかが、私にはさっぱり理解できません。私立であるから、公立のホームよりもお金を沢山もらい、サービス業として接することを義務づけているのに、公立と同じ体勢をとろうとすることに、介護職に就いてからずっと思っていた疑問でした。お金をもらい、その変わりサービスを提供する。この人数で、その謳い文句を実行しようとすると、我々末端の人間が影響を受けるのです。機械的に業務をしない。入居者を人間扱いする。そう研修されますが、その前に我々職員を、人間として扱ってくれ!と、いつも心の中に本心を隠していました。

愚痴はさておき、私は杉山さんのケアがとても好きでした。毎日の積み重ねが、見る見る状態を回復させたのです。あれだけボロボロだった皮膚が、綺麗になってきました。褥そうの状態も良好で、どんどん回復に向かっているようでした。声かけに、必ず反応がある事がとても嬉しかった。

ある日、声かけに反応しない杉山さんの姿がありました。「杉山さん!調子はいかがですか?」やはり、反応がありません。

杉山さんは、ご自分の命を全うされ、ご家族の元へ帰られました。まるで嘘みたいに、まるで眠るように。最後の良い状態だからと言う、病院の話通り、ホーム戻られてから一ヶ月もしないうちでした。しかし、自分は初めて介護職に就いて良かったと思うケアが出来ました。その人と向き合い、初めて『ケア』を実感しました。

正直、職員同士で、経管とノルウェー疥癬と言う状態を、負荷に思っていました。しかし、介護歴の中で一番充実した期間を過ごさせていただきました。この人数体勢で、重度の方のケアが出来た事に沢山の思いがあります。全ての人に感謝したい気持ちでいっぱいです。

杉山さんのご冥福をお祈りし、自分に『ケア』の大切さを思い出させてくれた全てに感謝いたします。

2003.09.21

永礼盟