[87]なぜ虐待するのか?

2018年8月27日

前回は全国的なインフルエンザ狂騒がひどいためにそれをテーマにした。今回は本来の予定通り虐待について語りたい。
これまで児童、障害者、高齢者と虐待について語ってきた。そして虐待をする原因やする側の理由についてはかつて第12号「暴力」でも書いた。しかし、それはあくまでも施設において介護者がなぜ利用者を叩いてしまうのか、また人間は本能的に暴力を求めていることを大まかに書くに留めた。今回は社会的な背景も含めて虐待の起こる理由を諸君に伝えたい。
施設でなぜ虐待が起こるのかは12号「暴力」でも述べた。今回はその点をおさらいしてみよう。
・虐待者は真面目な人が多い。
・虐待者は追い詰められている
・職員の人権が守られていない。
俺は12号で以上の3つをポイントとして挙げた。施設での虐待が起こる度に介護者という個人が逮捕されているのが常だが、上の3つのポイントをみても判るように虐待は虐待者を逮捕して処罰すれば済むような単純なものではない。
「虐待者は真面目な人が多い」に通じるように虐待者は人を苦しめて喜ぶような根っからの極悪人という人は殆どいない。むしろ融通の利かない頑固者という方が多い。そんな悪人でもない人々がどうして保護するべき利用者を叩くようになるのか?それは施設のあり方、いやもっと大きく言えば現在の福祉や医療のあり方が職員を虐待させる方向に巧みに追い込んでしまっているからだ。
こういうと「施設職員の犯罪を正当化するのか?」という声が聞こえそうだ。しかし、俺自身を含め福祉施設職員としての行動がそもそも利用者を虐待していることは実際よくあることなのだ。
例を挙げよう。映画「17歳のカルテ」でこんなシーンがある。精神病棟に入院したウィノナ・ライダー演じるスザンナは渡された食後の内服薬を「飲みたくない」と拒否する。しかし、看護師がそれを許さず、飲むように命令される・・・・全国どこの福祉施設でもこんなシーンは腐るほど繰り返されている。内服薬を副作用を恐れて「飲みたくない」と主張する人は多いが、殆ど強制的に飲まされているのが現実だ。
医師や福祉関係者なども含めたほとんどの一般人は殴る蹴るの暴行は正しくないと認識している。しかし、利用者が内服を拒否する事はそうではない。薬は本人の病気や障害に合わせて処方されているから飲むべきだと信じられている。だが、ここで俺は断言しておく。
「利 用 者 に は 内 服 を 拒 否 す る 権 利 が あ る」
本人が嫌だと言ったら認知症だろうが、知的障害だろうが、精神障害だろうが強制的に内服させることは人権上許されない。例えば、便失禁したまま施設内を徘徊するなど他の利用者に迷惑な場合は、本人が嫌がっても強制執行も止むを得ない場合もある。しかし、内服はしなくても他人に迷惑をかける要素がないので強制執行できる余地は全くないのだ。
それでも現実には施設職員や看護師は内服を拒否されておめおめと引き下がる訳には行かない。内服させられないと上司や家族から叱責されたり、評価が下がるからだ。内服させる事自体が施設全体の方針となっている以上、何としても内服させなければならない。利用者の主張を尊重したくても尊重できない現場のジレンマがここにある。虐待の下地はこういうところにできていくのだ。
前に述べた「施設の存在自体が虐待に等しい」と言うのはこういう理由もある。虐待事件で逮捕者が出ると、個人が非難されるがそもそも施設の構造自体が虐待する方向性になっているのだ。
「職員は追い詰められている」と言うのは上の事例でよく判ったと思う。そこで次は「職員の人権が守られていない」を検証したい。よく福祉職員にありがちだが、「自分を犠牲にしてでも、利用者や社会、組織に貢献したい」という考えを抱いている人が少なくない。事実、福祉の現場では際限ないサービス残業など劣悪な待遇がまかり通っていて、半ば当たり前のように思われている節がある。だが、くどいようだがここでも改めて断言する。
「自分の人権も守れないのに利用者の人権を守れるわけがない」
自分を犠牲にして利用者に尽くす。一見美しい滅私奉公精神に見える。だが、事実は皮肉だ。己が虐待されていて、さらに弱い立場の利用者を守れるほど人は強くない。それができると言う人が福祉界には多いが、己のエゴを直視しないナルシズムもいいところだ。実際、虐待は虐待者がやり場のない怒りやストレスを弱い立場にいる人に向けるから虐待が起こるものだ。育児虐待だろうが、障害者虐待、老人虐待も全て本質は同じだ。ある意味虐待者も犠牲者なのだ。
俺が虐待者だけを非難するのに賛成できない理由はここにある。
施設で虐待が起こるのは少ない介護者で運営しているため、介護者に過大な負担がかかっているためだ。
じゃなぜ多くの介護者を雇えないのか?
今の介護報酬は低すぎて、十分な介護者を雇えないからだ。
じゃなぜ介護報酬が低いのか?
日本国の財政は借金まみれで十分な税負担ができないからだ。
このように施設の虐待を防ごうと思えば、これだけスケールの大きい問題になってしまう。因みに在宅介護での虐待も育児虐待も本質は同じだ。介護や育児も重い負担を伴うものだが、社会全体でその問題を解決するべきだという認識もないのが現状だ。
エル・ドマドール