ミャンマーのサイクロン、四川大地震とアジアでは莫大な犠牲者、被災者が出ました。ミャンマーは軍事政権で救援活動が遅々として進まず、中国も賄賂絡みの「おから工事」による建物倒壊、災害救助に関する経験不足など、時間が経過するうちに 2次、 3次と災害が拡大する危険性があります。2004年 4月 1日号「アジアの憂鬱」というテーマでアジアのかかえる諸問題について取り上げましたが、アジアには天災、人災が多く、それも日本人の想像を超える規模や内容のものがあり、ビジネス展開にはリスク・マネジメントが重要です。
四川省の隣の貴州省で少数民族の保護活動をしている香港のビジネス・パートナーに大丈夫だったかとたずねると「ありがとう。おかげさまで僕たちの地域は何の被害もなかったよ。心配してくれて本当にありがとう。」日本も異常気象で夏日と思えば冬に逆戻りした事や小さな地震が頻発していることを話すと「エルニーニョのせいだよ。」最後には「ともかく地球サンが怒らないように環境に気遣わないとだめですね。」というような会話になりました。
2007年11月 1日号「はったりをめぐって」に出てくる香港のクライアントK氏も中国本土の主要都市でビジネス展開をしていますのでビジネス関係に支障が出ていないかたずねると、よくぞ聞いてくれたばかりと「ありがとう。実は甥っ子が成都に住んでいるんだけれど無事だったよ。ところでL先生(私のビジネス・パートナーのこと)の所は大丈夫だろうか。」「先ほど確認を取りましたが何の被害もないようですよ。」
幸い、日本に住んでいる中国人の知人たちの周辺にも被害はなかったようです。ご本人が無事の確率が高くても関係者やビジネスに被害が出ていることもありますので、何か起こればまずは様子を聞くことにしていますが、とても感謝して下さるのでこちらも暖かい気持ちに包まれます。知人の消息を確認するのに 2ケ月かかった2007年 2月 8日号「続 マヨンの麓からの手紙~希望~」は私の人生でも忘れられないひとこまでした。
今回の地震で不思議に思ったことがあります。胡錦濤国家主席の来日には「皇室」「パンダ」「ピンポン」「奈良(遣唐使の朝貢)」とあらゆる外交手段が駆使され、しばらく険悪だった日中関係におだやかな空気が流れ始めました。もちろん中国のメディアは連日この様子を報道していました。胡主席の帰国後ほどなく地震が起こり、日本政府や民間企業は早々に援助の名乗りをあげました。そして日本の救助隊のたった60人の活動が「反日」の嵐を「感謝と感動」に変えたのです。この絶妙なタイミングはまさに神の仕業としか思えません。
そもそも「反日運動家」のほとんどは知日家であろうはずもなく、不平不満の矛先を日本に向けてストレスを解消していたきらいもあります。また、急成長した中国の驕りは天災地変という自然の力に叩きのめされ、やっと他人への感謝や尊敬を思い出したとも言えましょう。ミャンマーもこの禍がきっかけとなり民主化への道を歩んでくれることを願っています。
最後に犠牲者のかたがたのご冥福と被災者のかたがたに 1日も早く笑顔が戻ることをお祈りします。
河口容子
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