[049]名へのこだわり

 昨年の12月13日号「性別にご用心」で、兄弟姉妹と上下性別をきちんと呼びわける日本で、なぜ人を呼ぶ時に、Mr.やMs.と言った性別の呼びわけがないのか不思議に思う、と書きました。日本では男女の区別より、姓そのもの、つまりどこの家(集団)に属しているかの方が重要視される社会なのでしょう。身内、親しい友人以外は通常どこでも姓を呼びあう習慣もそうです。一歩、外に出ればその家(集団)の代表として識別されるわけです。
 よく外国人の名刺をもらうと3つも4つも名前が並んでいることがあります。キリスト教徒で洗礼名を持っている人はどうしてもひとつふえますが、ヒラリー・ロッダム・クリントンのように旧姓をミドルネームに持ってくる人もいます。用はルールがない、自分のこだわりで名前をつけているとしか思えません。日本人のように戸籍法にのっとって姓と名とにきちんと分かれ、勝手にはまず変えられない国の人間から見ると、良いか悪いかというよりも感覚そのものが理解できない気がします。
 私の知人で「なんで香港人は西洋人みたいな名前をつけるのか?顔みたらどうみても中国人なのにおかしい。」と言った人がいます。確かに香港人のファーストネームはジェームズやイサベラのように西洋人めいた人がほとんどですが、あれは単なるニックネームだそうです。正式には中国人としての姓(たいてい1文字です)と名(たいてい2文字)を持っています。ただし、名刺を見るとたいてい英文ではニックネームと姓の組み合わせ、漢字では正式な姓名とまさにダブルネームです。確かに英国の支配下にあった地域ですが、まだまだ日本人らしい名前にこだわり続ける日本人からすると抵抗があることは確かです。経済の自由化のすすんだ中国本土でも大都市の若い世代はこのダブルネームが定着しつつあります。


 ブルネイではイスラム教国らしく、メッカにお参りすると男性ならハッジ、女性ならハッジャの称号をつけます。名刺をもらうとハッジャ○○ハッジ△△と言う長い名前だったりします。△△はファーストネームです。これはハッジ△△の娘のハッジャ○○という名前のつけ方でここにはいわゆる姓はないことがわかります。
 インドネシアには姓がない人もいると聞いたので、さっそくインドネシアの友人に聞いてみました。たしかに姓がない民族もいるらしいし、姓名のつけ方にルールはないようです。私の友人は華人ですが、1965年の華人は中国名を持ってはいけないという法律により姓名ごとインドネシア風に改名させられました。1955年生まれですから、小学生の頃は違う姓名で呼ばれていたのでその頃しか知らない人は今の姓名を言っても通じないと笑っていました。インドネシアでは夫婦別姓(中国も同じ)ですが、理由を聞くと姓を変えるにはとんでもなく手続きが大変でお金もかかるから、とのことです。富裕層の彼ですらそう思うのなら、そもそも夫婦同姓には意義を見出さないのがインドネシアの考え方なのでしょう。
 もうひとつ、彼の娘はミドルネームを持っていますが国民としてID登録するには名前ふたつまでと決まっているらしく、誤ってファーストネームとミドルネームの組み合わせで登録されてしまったとか。誤りだと言っても係官は一切取り合ってくれず、問題もおきないのがいかにもインドネシアらしいと感じます。これぞまさにIDで本人と認識できればルールはどうでもいいという究極の合理性かもしれません。
 誰でも持っている名前ひとつだけでも、これだけ国民性や文化により考え方の違いがあり、それぞれ当然と思って一生を送るわけです。「命を惜しむな、名(これは家名と言う意味を含んでいるのでしょう)こそ惜しめ」なんて海外では通用しないかも知れません。
河口容子