グッドデザイン賞(Gマーク)アセアンセレクションの発表シーズンがやって来ました。グッドデザイン賞はご存知の方も多いと思いますが、戦後日本の産業振興策として通産省が始めたものでもう50年の歴史を持っています。単にデザインの良さのみならず、使い勝手や品質の良さ、企業姿勢をも加味した評価で、現在は食品と衣類を除いたあらゆるジャンルの製品、建築物に至るまで受賞の対象となっています。私は消費者にとって安心を、作り手にとって励みを得られるすぐれた政策だと思っています。アセアンセレクションはこの制度をそのままアセアン諸国の製品に適応し、各国へ審査員が出向いて審査を行なっています。
私自身も日本での見本市へ参加する企業や商品の選択の仕事を何回かやらせていただきましたが、あくまでも対日貿易の促進という観点から仕事をしますので、日本の消費者のライフスタイルに抵抗なく溶け込めるもの、つまりアセアンらしい素材、モチーフ、技巧を使い、あるいは安らぎや懐かしさといった香りを持ちながら現代生活にマッチするもの、また、品質と買い求め易さのマッチしたもの、ビジネスをされる方にとっても少量多品種展開が可能で、まじめで前向きな経営者のいる現地企業という眼で選定をしています。
[129]人間関係
先日、国際ビジネスのコンサルタントばかり集まった会合で、中国から日本に帰化した女性のコンサルタントと知り合いました。彼女は北京で政府機関の部長をしていた経験がありますが、昔の部下が今は出世しているため、彼女はいろいろ便宜を図ってもらえ仕事がしやすいと言っていました。何と行けば車も貸してもらえるそうです。もちろん、彼女は有能で素晴らしい性格の持ち主であることは確かです。しかし、日本で、たとえば10年前に退職した部長が仕事で古巣へ現れたとしてもこんな風に迎えてくれるでしょうか。よほどの有名人でない限り、あるいはよほと義理人情に厚い組織でない限り、邪魔者扱いされるだけです。
日本人のおつきあいというのは、学友、会社の人、近所の人、子どもの親同士など、必要にせまられて儀礼的につながっているケースが多いような気がします。この「必要」がなくなる時、つまり卒業したり、退職したり、引越したりすると、親しかったのが嘘のように疎遠になることがほとんどです。そして一度疎遠になってしまうとなかなか元の関係には戻れないものです。また、病気をしたり、困っていると、友人と称していた人たちも知らぬ間に消え、逆に調子がいいと親しくもないのに昔からのの友人のような顔をしている人まで出てきます。この現象を見て、日本人のおつきあいは損得勘定で成り立っており、きわめて自己中心的な国民だと思うことがあります。