先週、インドネシアへの投資セミナーが北九州、大阪、東京の順で開催されました。つい最近では、マラッカ海峡での海賊事件、そして昨年末には大津波で 45億ドルの損失を被ったスマトラ島のアチェ、とあまり良いニュースがありませんでしたが、昨年10月には初めて直接選挙によりユドヨノ政権が誕生し、汚職の撲滅や労働市場の安定化のための協議を行なっています。
インドネシアは1994-5年あたりが日本からの投資がピークで、私自身もその少し前からインドネシアとの取引を開始しました。当時は、私の勤務していた総合商社でもジャカルタは関係会社への日本からの出向者、現地雇員をあわせると 100人体制で、駐在希望地ナンバーワンでした。ジャカルタは1000万人都市ですし、外国人も多いため買い物には不自由しません。何といっても物価が安く、商社の駐在員なら閑静な高級住宅街に家をかまえ、使用人を何人も雇え、週末は家族そろって五つ星ホテルで食事をしたところで、どんどん貯金はふえていく所だったからです。
ところが、1997年にタイ・バーツを皮切りにアジア通貨危機にのみこまれ、1998年にはジャカルタで大暴動が起こりました。これをターニング・ポイントとして投資は中国へ中国へと向かうようになります。「日本から近い」「文化的になじみがある」「巨大市場」「人件費が安い」ということで飛びついたわけですが、まだまだ問題も多く、中国からの撤退を専門とするコンサルティング・サービスが成り立つほどです。
[127]アセアンから始まる春
東大寺二月堂のお水取りは古都奈良に春を告げる行事ですが、私にとっての春はアセアン諸国との外交、貿易、投資、観光の関係者が一同に会するパーティから始まります。今年は 3月の初旬、銀座の某ホテルで開催されました。ここはクロークがバンケット・ルームの階下にあり、冬装束を預けてから静々とエスカレーターで受付に上がって行く間合いに心地よい緊張感を感じます。小寒い日でしたが、例年のごとく大勢の参加者であふれかえり、乾杯のグラスを上げたときはアセアン諸国の暑さを思わせたほどでした。
アセアン関係のパーティでは、イスラム教国のマレーシア、インドネシア、ブルネイに配慮をして豚肉を使った料理は排除されます。アルコール類も普通のパーティよりは控えめの感じです。立食ですが、日本人はスピーチが終わり「お食事をどうぞ。」と言われたとたん、料理の並んでいる所へ行列をすぐ作ります。実は逆の方向からも料理は取れるのですが、どうも誰かの後に並ぶのが好きのようです。料理を自分のお皿に取っても近場のテーブルを占有してしまうので、あとから料理を取りに来る人たちの邪魔です。パーティ会場を俯瞰するとゆっくり料理が取れ、静かに話せる場所はいくらでもあるのです。全体が見えない日本人の悪さがここでも露呈します。
私自身はアセアン諸国で日本で行なわれる見本市のために出展業者や商品の選定、日本市場への売り込み方法のアドバイスなどを雑貨を中心にやらせていただいてきましたが、最近はどうも「日本離れ」の傾向があるようです。理由としては「最も難しい市場」、つまり「価格はより安く、品質はより良く」と無理な要求をする、その割に発注量が少ない、継続的な発注に結びつきにくい、などです。アセアン諸国の商品は日本では夏場商品が多く、ゴールデンウィークあたりから暑い日が続く年ならまだしも、夏は商機として意外と短く、売る側にとっては最大公約数的な品揃えになってしまいがちです。