[198]ベトナム投資ブームは第2の中国となるのか

 ある統計によれば中国に投資した日本企業の85-95%が 5年以内に撤退するそうです。そんな話をするとシンガポールのビジネスパートナーは「中国ビジネスが成功しないのは世界の常識」と笑いますし、香港のパートナーのほうは「香港人だって大勢失敗しているのだから日本人がうまく行くわけがないじゃないか。」と冷ややかな対応です。
 確かにここ10年ほどは中国への投資が過熱し、上記の数だけ失敗者がいれば莫大な金額の国民の資産が失われたことになります。国内で起業しても 5年以上続くのは約5%と聞いたことがありますので、不思議な数字ではないかも知れません。
 大企業の海外投資は慎重な経営判断の下に、社内外のプロやノウハウを駆使して行なわれます。また、国際的なメーカー、特に自動車産業などは裾野も広いことから受け入れ国としては大歓迎ですが、中小企業の場合はあらゆる面において厳しい決断をせまられます。
 さて、東京都が中小企業のために開催されたベトナム進出セミナーに行きましたが、暑い中大入り満員でした。ベトナムで失敗する企業はほとんどないというのは今のところ定説ですが、日本の中小企業が投資を始めてまだ 5年くらいしか経過しておらず、今後、投資件数も増えるにつれ負け組みも出てくるのではと少し不安です。
 私はこうしたセミナーの中で実際に投資をされる中小企業のオーナーの講演をいつも興味深く聞かせていただいています。今回はドンナイ省(南部)の輸出加工区に進出して 8年のメーカーのお話が印象に残りました。すでに米国への進出経験があり、工場労働者が多民族で構成される中でベトナム人が非常に優秀であるという印象があったようです。それでも中国では上海と華南地域、タイ、フィリピン、ベトナムなどを視察比較した上でベトナムに決定したそうで経営資源にゆとりもあるのでしょうがなかなか慎重です。また、現地の社員に自主的に仕事をさせる風土を作り、ベトナム工場で先に ISOを取得、そのノウハウを逆に日本の工場へ導入するなど中小企業ならではの柔軟性と合理性も生かしています。
 実は一番関心を持ったのは他の講師陣が必ず口にするベトナムと日本の共通性です。竹取物語、一寸法師の物語があり、縄跳び、じゃんけん、メンコなどに共通点があるそうです。一寸法師のお椀の船は今でも漁に使われているとか。遣唐使阿倍仲麻呂は唐で任官、安南節度使としてベトナム総督を務めました。林邑楽というベトナムの音楽が雅楽の元祖であり、正倉院の香木蘭奢待(らんじゃたい)はベトナム産、17世紀初頭の朱印船貿易による交流はもとより、徒然草や平家物語に出てくる「想夫恋」という歌の原産はベトナムである、などなど。ある講師は女性の民族衣装であるアオザイを乙姫様の着物のようだと言いましたが、私もハノイのホアンキエム湖の亀の塔を見た時に龍宮城のイメージと重なる部分がありましたのでひょっとしたら浦島太郎の物語もベトナムにあるのかも知れません。
 冷静に考えれば、どの国にも日本との交流のエピソードはあるわけです。好きな人に自分との共通点を見出したがるのは人間の習性であるように、成功の秘訣はまずその国や国民を好きになれるかどうかではないでしょうか。利益があがればどこでも良いというクールな割り切りをして海外投資のリスクをかかえることは中小企業のオーナーにはなかなか難しいと思います。好きだからこそ、文化や習慣も乗り越えようというエネルギーがわくのでしょう。
河口容子

[197]マヨンの麓からの手紙

今年もアジアは自然災害に悩まされています。日本も記録的な豪雨で水害にみまわれた地域が多く被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。インドネシアのジャワ島南西部沖の地震と津波でまた数百名もの命が失われました。日本からの津波警報も現地では伝わらなかったとの報道に何ともやりきれない思いでした。雲南省でも地震。このままでは地球が壊れてしまうのではと不安になったり、逆に思い上がった人類への天罰とも思えたり、自然破壊の進む地球の悲鳴にも聞こえます。
最近フィリピンのマヨン火山が噴火というニュースを目にしました。マヨン火山については2002年 4月11日号「アセアンの国から-3-」2005年 4月14日号「祈りのひととき」で触れていますが、ルソン島南部のビコール地方のアルバイ州レガスピ市の近くにあります。2,462mの完璧なまでに美しい円錐形の活火山です。「マヨン」というのはビコール地方の方言ビコラノで「美しい」という意味だそうです。
姿は美しいものの、なかなかの暴れ者で、過去 400年に50回以上噴火しており、観光名所のカグサワ教会遺跡がその証人です。1814年にカグサワ地区はすべて溶岩流に埋まってしまい、教会の鐘楼だけが一部残っています。何事もなかったかのように平和なマヨン火山を背にその鐘楼の横に立った写真を記念に撮ってもらいましたが、私の足元には1,000 人以上の犠牲者が埋まっていると聞き、思わず犠牲者の方々のために心の中で祈りをささげました。
今回の噴火で知人にお見舞いのメールを出しました。相手は地元の名士でヨーロッパのデザイナーブランドの帽子やバッグの OEM生産をしている会社の社長です。 4年前に会って以来時々メールを交換しています。タフなビジネスマン、大家族の要、お笑い芸人顔負けの面白さが売り物の彼ですが、やけにまじめな返事が返って来ました。「あなたからメールをもらうといつも楽しい気分になります。私たちのことをずっと忘れないでいてくれるんですね。当社は今期たくさんの受注があり、忙しく働いています。特にファッション分野に再び競争力が出てきたのがうれしい事です。おっしゃるようにマヨン火山は噴火しており、大噴火するのではないか不安です。もちろんそうならない事を祈っていますが。私たちは皆無事です。ご心配いただきありがとうございます。あなたのように気遣ってくれる友人を持って幸せに思います。」というような事がつづられていました。
アセアンの地方都市は人件費は安いものの、インフラ整備は遅れており、首都や大都市の企業と比べると海外へ輸出するにはかなりハンデを負います。私としてはできるだけバックアップしてあげたいところです。特にここの街の人たちの優しさ、明るさ、一生懸命生きる姿には心を打たれいつまでも記憶に残っています。朝 5時に家を出、 2時間車を運転して空港に迎えに来てくれたメーカーの若いオーナー、見ず知らずの私たちに日曜にボランティアで観光案内をしてくれた地元の若い銀行家、そしてお昼を作ってもてなしてくださったそのお母様、子どもを 5-6人遊ばせながら道端でココナツを売っていた女性、旅の安全を祈ってくださったダラガ教会のTシャツ姿の神父様、などなど。
そして、傑作な思い出のひとつはホテルです。フィリピンの政府機関から出張で泊まるようなホテルは2つしかないと言われ、片方は写真など資料があったのですが私の好みではありませんでした。もうひとつは出来たばかりで新しいものの資料がありません。アベンローズという名前にひかれどんなホテルかわからないというリスクはあるものの新しく空港に近いという事でそちらを選びました。広大な敷地に建つ 2階建ての全部で14部屋しかないホテルでした。外観はお菓子の家のようにかわいらしかったです。フロントは玄関の軒先、つまりアウトドアにあり、学生寮のような感じです。食事を供給する施設はかなり離れた別棟にあり、私たちは仕事の後、毎日ショッピングモールで翌日の朝食を買うのが習慣となりました。 2階にベランダがあり、そこの籐のリビングセットで風に吹かれながら打ち合わせをしたり本を読むのが好きでした。マレーシア、インドネシア、そしてマニラと 2週間以上都市型の大きなホテルに泊まり続けた後だけに多少不便でも、アットホームな雰囲気に過ごせ強く印象に残っています。インターネットで調べると新しい建物もでき、私の泊まった 4年前には新築だったのに今ではもう「旧館」と呼ばれているようです。
レガスピはマニラから飛行機で約 1時間、また訪れてみたい所のひとつです。
河口容子