[197]マヨンの麓からの手紙

今年もアジアは自然災害に悩まされています。日本も記録的な豪雨で水害にみまわれた地域が多く被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。インドネシアのジャワ島南西部沖の地震と津波でまた数百名もの命が失われました。日本からの津波警報も現地では伝わらなかったとの報道に何ともやりきれない思いでした。雲南省でも地震。このままでは地球が壊れてしまうのではと不安になったり、逆に思い上がった人類への天罰とも思えたり、自然破壊の進む地球の悲鳴にも聞こえます。
最近フィリピンのマヨン火山が噴火というニュースを目にしました。マヨン火山については2002年 4月11日号「アセアンの国から-3-」2005年 4月14日号「祈りのひととき」で触れていますが、ルソン島南部のビコール地方のアルバイ州レガスピ市の近くにあります。2,462mの完璧なまでに美しい円錐形の活火山です。「マヨン」というのはビコール地方の方言ビコラノで「美しい」という意味だそうです。
姿は美しいものの、なかなかの暴れ者で、過去 400年に50回以上噴火しており、観光名所のカグサワ教会遺跡がその証人です。1814年にカグサワ地区はすべて溶岩流に埋まってしまい、教会の鐘楼だけが一部残っています。何事もなかったかのように平和なマヨン火山を背にその鐘楼の横に立った写真を記念に撮ってもらいましたが、私の足元には1,000 人以上の犠牲者が埋まっていると聞き、思わず犠牲者の方々のために心の中で祈りをささげました。
今回の噴火で知人にお見舞いのメールを出しました。相手は地元の名士でヨーロッパのデザイナーブランドの帽子やバッグの OEM生産をしている会社の社長です。 4年前に会って以来時々メールを交換しています。タフなビジネスマン、大家族の要、お笑い芸人顔負けの面白さが売り物の彼ですが、やけにまじめな返事が返って来ました。「あなたからメールをもらうといつも楽しい気分になります。私たちのことをずっと忘れないでいてくれるんですね。当社は今期たくさんの受注があり、忙しく働いています。特にファッション分野に再び競争力が出てきたのがうれしい事です。おっしゃるようにマヨン火山は噴火しており、大噴火するのではないか不安です。もちろんそうならない事を祈っていますが。私たちは皆無事です。ご心配いただきありがとうございます。あなたのように気遣ってくれる友人を持って幸せに思います。」というような事がつづられていました。
アセアンの地方都市は人件費は安いものの、インフラ整備は遅れており、首都や大都市の企業と比べると海外へ輸出するにはかなりハンデを負います。私としてはできるだけバックアップしてあげたいところです。特にここの街の人たちの優しさ、明るさ、一生懸命生きる姿には心を打たれいつまでも記憶に残っています。朝 5時に家を出、 2時間車を運転して空港に迎えに来てくれたメーカーの若いオーナー、見ず知らずの私たちに日曜にボランティアで観光案内をしてくれた地元の若い銀行家、そしてお昼を作ってもてなしてくださったそのお母様、子どもを 5-6人遊ばせながら道端でココナツを売っていた女性、旅の安全を祈ってくださったダラガ教会のTシャツ姿の神父様、などなど。
そして、傑作な思い出のひとつはホテルです。フィリピンの政府機関から出張で泊まるようなホテルは2つしかないと言われ、片方は写真など資料があったのですが私の好みではありませんでした。もうひとつは出来たばかりで新しいものの資料がありません。アベンローズという名前にひかれどんなホテルかわからないというリスクはあるものの新しく空港に近いという事でそちらを選びました。広大な敷地に建つ 2階建ての全部で14部屋しかないホテルでした。外観はお菓子の家のようにかわいらしかったです。フロントは玄関の軒先、つまりアウトドアにあり、学生寮のような感じです。食事を供給する施設はかなり離れた別棟にあり、私たちは仕事の後、毎日ショッピングモールで翌日の朝食を買うのが習慣となりました。 2階にベランダがあり、そこの籐のリビングセットで風に吹かれながら打ち合わせをしたり本を読むのが好きでした。マレーシア、インドネシア、そしてマニラと 2週間以上都市型の大きなホテルに泊まり続けた後だけに多少不便でも、アットホームな雰囲気に過ごせ強く印象に残っています。インターネットで調べると新しい建物もでき、私の泊まった 4年前には新築だったのに今ではもう「旧館」と呼ばれているようです。
レガスピはマニラから飛行機で約 1時間、また訪れてみたい所のひとつです。
河口容子