[196]「あのときのひとこと」事件

 このエッセイが配信される頃は一応の決着をみているのかも知れませんが、サッカーワールドカップの終幕と共に余韻にひたるどころか「ジダンの頭突き事件」に世界中が揺れました。2004年10月22日号「あのときのひとこと」では、カチンと来るひとことを勇気と頑張りに変えた例を書いたのですが、残念ながらマテラッツィのひとことはジダンの頭突きとレッドカードによる退場、イタリアの優勝という結果につながりました。
 あれだけのゲームを勝ち上がりながら、しかも決勝の延長戦という心身ともに疲れている条件ではキレやすくなるのは理解できます。おそらくマテラッツィの言葉のみならず双方の攻防戦の積み重ねのうちにイライラが積み重なっていた事も想像できます。それでもジダンの最後の試合、そしてフランスにとっても大事な決勝戦にマテラッツィのひとことをバネにトロフィーと MVPを勝ち取ればそれは人間としてもマテラッツィに完全に勝ったことになったのではないかと残念です。
 野球選手の本か何かでプロになってスタンドから浴びせられる野次に動揺しなくなるまでが大変と読んだ記憶がしますが、サッカーにおいても試合中ピッチの上では選手どうしそういう言葉が交わされるのでしょう。ヨーロッパ人どうしというのはある程度言葉がわかりますので、いちいち反応してしまいますが、日本人と中国人や韓国人では言葉が理解できないので何を言っても言われてもピンと来ないので、「あのときのひとこと」事件は起こりにくいといえます。
 もしマテラッツィがジダンを怒らせ、レッドカード退場、イタリア優勝まで予想して暴言を吐いたとすれば、これはさすがニッコロ・マキャヴェリ(イタリアルネサンス期の戦術家)以来の伝統でしょうか。マキャヴェリの「君主論」では君主はフォルトゥーナ(運命)を引き寄せるだけのヴィルトゥ(技量)が必要だと述べています。まさにマテラッツィのひとことはフランス代表に動揺を与えイタリア代表に勝利をたぐり寄せました。
 アズーリ(イタリア代表)ファンの私としては満足なドイツ大会でしたが、どうもこの事件だけは後味が悪いものとなりました。また、ピッチの上はまさに戦場で日本代表はまだまだお坊ちゃんのような印象も持ちました。
 私自身も国際ビジネスというピッチの上に立つものですが、ときどき戦場にいるような気分になることがあります。2002年11月14日号「香港億万長者とビジネスする方法」の冒頭に出てくる商談とは香港のコングロマリットの 1社が相手で、社長を筆頭に相手が 4人、こちらは私 1人でした。香港のビジネスパートナーの兄弟の意見が直前に分かれ、数時間前に広州で兄のほうと打ち合わせた内容はすっかり使えなくなり、自分ひとりの裁量で最大の結果を引き出さなければならないという窮地に達しました。幸い、そういうときほど腹がすわる性格ですが、それを支えているのは責任感とプロ根性以外の何者でもありません。あとから考えるとどうして 1人で切り抜けられたのか不思議なくらいです。
 こういう性格を察してかシンガポールのパートナーが私につけたニックネームは「サムライちゃん」です。サムライブルーの日本代表は残念ながら予選リーグで敗退してしまいましたが、サムライちゃんのほうは日夜国際ビジネスのピッチで奮闘しております。
河口容子