[115]マナーで食う

今号はたまごやライターの「桶川次郎」さんのコラムをおおくりします。

■マナーで食う

 「マナーで食う」っていってもなんのことかわからんだろうけど。「作法」「行儀」なんて言い換えるとどうだろうか。

 うちの母親はいわゆる「没落旧家」の出身で、俺が小さいときからしつけには厳しかった。歩き方から話し方、箸や鉛筆の持ち方はもちろん、食事の作法や靴のそろえ方など細々と注意されたもんだ。子供の時は一応いい子でいたが、物心がついてくると本当にうっとーしい。「カネもないくせに一人前にプライドだけ高いだけ」なんて思ってた。もちろん、中学・高校・大学と進むに連れてそんなお作法もほっぽりだしたままだった。

 でも忘れたわけではなかったのである。小さいときのしつけは、脳味噌の随分奥の方に蓄積されている。作法や行儀ができてなくても、「本来はこうあるべきなんだけど」という教えが常にインプットされている。表面的には不作法に見えても、知っててやっているのと、知らずにやっているのは全く違う。

 で、ある銀行に就職したわけであるが、まあ銀行員なんて社長や年金もらってる爺婆の相手をする商売。そこで延髄深く眠ったままになっていたお行儀の良さが出てきたのである。だいたい年寄りなんて若いもんに対する青二才意識が強いのだが、育ちの良いところを見せると態度が変わる。

 玄関先での応対にしても、雨具やコートは外で脱いでから玄関に入る、相手が座っているときはこっちも膝を折って話をする、座敷に通されるときは脱いだ靴を外側にそろえて下座に移す、畳の縁は踏まない、ふすまのしめ方、出されたものは全部いただく、お茶は両手で飲む、もちろん食事は作法通り。

 年輩の方からは「当たり前だ」という声が聞こえそうだが、これきちんとできる銀行員を俺は見たことがない。自分で言うのもなんだが、「どこに出しても恥ずかしくない」行員だったわけだ。小うるさい社長から、街のヤクザまで、トラブル先をことごとく担当する羽目になったが、一度もクレームはこなかった。俺の唯一の自慢だな。

 銀行なんてどこも商品は同じである。同じ金利で勝負するとなると、結局は行員自身の人気商売になっていくわけ。こちらが提示する商品や金利の損得ではなくて、「あんたに言われたらなんでもやるわいね」と言わせるのが商売のやり方であり、ほとんど水商売の世界なんだな。これが結局は邦銀が衰退していった原因であり、結果だと思う。

「預金集めじゃなくて貸出の世界にはプロとしての仕事がある」なんて言う奴は、なんでこれだけ不良債権が増えたか考えてないのでこの際相手にしない。

 俺はいつも銀行の偉い人に向かって「銀行にはノウハウがないくせにプライドだけは高い、いつか大変なことになる」と言い続けてきたのだが、しつけの悪い役員さん達には通じなかったな。お客さんにかわいがられた分、銀行からは冷たくされたことも多かった。

 いわゆる社会のマナーとか一般常識というのは、どうも大きくなってからは身につきにくい。大きくなってから、はじめて作法を学んでも、それは脳味噌の表面でしか処理されない。でも人間が成長すればするほど、社会の階段を上がっていくほど必要とされるのが実は良いしつけ。相手にする人たちが、格段に上流になっていくわけだから。それから行儀が悪いとか良いというのは自覚症状がまったくない「病気」なんだ。不作法があったとしても、本人は絶対に気づかない。なぜなら知らないから。知っててもそれが重要なことかどうか理解できないから。でも見ている人は見ている。マナーで怖いのはここ。

 世の中が「お友達」や「ご近所」程度の狭い世界で生きている人たちはそれでいいかもしれないけど、ビジネスの世界での「マナー欠如」は致命的。「食えなくなる」可能性もある。なんで頭でっかちの東大出が社会に出てダメかっていうと、まずもってここらへんからケチがつくんだな。

 ということで何が言いたかったかというと、しつけは小さいうちからきちんとやっとかないと一生ダメだよってこと。ちょっとえらそうだけど。貧乏だったけどそういう点で母親には大人になってから随分感謝するようになった。

桶川次郎

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