[111]大人って。
今日は沢木まひろさんのコラムでお届けします。
■大人って。
今年も成人式が騒がしかった。
ここ数年騒がしいのは、出席する若者たちよりも、むしろマスコミの報道かもしれない。あそこまで騒がれると、大人しく出るつもりだった人まで、何かしでかさないといけないような気になっちゃうのでは、と余計な心配をしてしまう。
スピーチの最中もお喋りをやめない、裸になって騒ぐ、果ては酒樽をかついで乱入する。たしかに最近の成人式の荒れようには、目を覆いたくなるものがある。「今年も荒れるに違いない」とTV局のカメラが入ると、余計に目立ちたい気分が強くなるのかもしれないけれど、それにしてもアホだ。他にいくらでもイカす目立ちかたがありそうなものである。全国放送で笑われて何が嬉しいのだろう。「デカイことをやりたい」と称して、街中で大それた事件を起こすのと、根っこは一緒。想像力が欠如しているのである。
成人式といえば、みんな同窓会的な期待があるようだ。私自身は、たまたま式典の当日が試験の真っ最中だったのと、小学校を途中で変わったので、特に会いたい人もいないということで、暮れのうちにレンタルの振り袖を着て記念写真を撮るにとどめた。
そのときの振り袖は黒で、大胆な現代風の柄だった。自分としてはとってもアダルトにダイナミックに着こなしたつもりだったのだが、出来上がってきた写真を見ると、成人式というよりは七五三だった。そして、たまたま遊びに来ていた当時の彼氏が、写真の私をじっとながめて呟いた。
「…あんみつ姫みたい」
倉金章介氏のマンガを見たことがない人にはわからんでしょうが、これには大笑いをした。それにしても失礼なオトコである。
そういう見かけだけでなく、20歳の私は、今になって思えば随分ガキだったと思う。周囲の大人に多大な迷惑と心配をかけていた。だいたい現代の20歳なんて、親の金で大学に通わせてもらってる人がかなり多い。今日から大人だよと言われてもピンとこないのが当たり前なんである。
結局、ほんとうに"大人"になる時は、その人によって違うのである。だれかが壇上で話しているときに私語を止めない"おばさん"だって存在するわけで、そういうおばさんたちに「今の若い子は」と文句を言う資格はないのです。
荒れるとわかっていて式典を行う意味があるのかってことが問題になっているわけだけれど、そうなったらなったで、各自治体は色々と工夫しているようだ。お膳立てしてやる必要はない、と、新成人に構成を任せるところもあるようである。
要は、主役である新成人たちの心に"何か"が残ればいいのだと思う。その日からいきなり大人になれるわけはない。でも、小学校で一緒だったときにはいじめられていた子が妙にカッコよくなってるのを見て「人生ってわかんないもんだな」と思ったり、はしゃいでお酒を飲み過ぎて苦しい目にあったり、振り袖が着崩れてしまって久々にお母さんを頼りたくなっちゃったり、そんな思い出が残ればいいのだと思う。
ちなみに、今回新聞を読んでいて「こういうの、いいな」と思ったのは、「成人した中学校の同窓生が母校に集まり、卒業時に埋めたタイムカプセルを掘り起こした」というセレモニー。なかなか素敵じゃないですか。あと、地元のボーイ・スカウトの少年たちを招待していたところもあった。さすがに子供の前ではハメもはずせまい、という作戦だったらしいが、うまいことを考えたものである。
沢木まひろ
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