[075]士農工商
江戸時代にあったとされる身分制度「士農工商」。私の子供のころは教科書に頻繁に出てきましたが、今は差別用語ということであまり使われないようです。
士農工商とは身分の高いほうから、武士、農民、職人、商人ということになっていますが、実際には武士は別として、農工商は一括して町民と言われていたようです。実際には士農工商の下に、エタ、ヒニンという更に低い身分があったとされます。
さて、士農工商の順位からすると一番下に位置する商人。本当に商いは卑しいことなのでしょうか?
最近ネットビジネスで成功の秘訣といわれる言葉に「顧客満足度」という言葉が頻繁に使われます。顧客満足度が高いとビジネスは成功するというわけです。しかし、顧客満足度というのは言いかえれば顧客のわがままをどこまで聞くかということの裏返しでもあります。顧客満足度を重要視するあまり、顧客を増長させ、クレーマーまがいのことがまかり通る土壌を育成していることも忘れてはなりません。
じつは私は某社のサポートを請け負っているのですが、電話では通常言って来ないような些細なこともメールだとここぞとばかり突っ込んできます。普段の鬱憤をここで晴らさなければと言うようなメールも見られます。電話でのサポートも受け付けていますが、電話での苦情はほとんどありません。つまり、メールだと気安い上に匿名であるため言いたいことがいえるというわけです。
企業としては、苦情は大歓迎です。普段気がつかないことも苦情によって気づかせられることも多く、また苦情を誠意を持って対応することにより、かえって信頼を得ることも多いです。しかし、担当としては、鬱憤を晴らすような八つ当たり的な苦情はご遠慮いただきたいというのが本音でもあります。
日本では、前述したように士農工商という言葉があり、商いは卑しいものという潜在意識があります。しかし、商いの大元は物々交換であり、お互いの価値観が一致して初めて交渉が成立します。その時点で身分の高低など無くむしろ対等なはずです。売ってもらってありがとう。買っていただいてありがとう。ともに対等なはずなのです。
「お客様は神様です」
「お客をなんだと思ってるんだ?」
「それが客に対する言葉遣いか?」
「責任者を呼べ」
顧客満足度という言葉が一人歩きして、満足を得られないときにはなんでもかんでも文句を言うという風潮を、ちょっと苦々しく思ってしまう昨今です。