人の歴史は支配されることの連続だった。
人々が、支配者によって支配されたんじゃないよ。支配者もふくめ、全員がみえない敵、環境に支配されつづけてきたんだ。
いや、本当は環境でもない。あなたがつくりあげた自分の亡霊に、あなた自身が支配されてきたんだから。
あなたは男女のどちらかに生まれている。これは、きっと正解だろう。
あなたが男だとして、どうしてあなたは実に男らしくなったのかね? その理由を、じっくり考えたことがあるかね?
確かに、あなたの体には男性ホルモンがおおくながれ、酔いしれやすくなっている。でも、それ以外は?
どうかね?
あなたは、過去につくった自分の亡霊と、あなたの思い込みによる今の亡霊とをうまいぐあいにミックスさせ、あなたをつくりあげてきたのではなかったかね。決して本来のあなたでない、つくられたあなたがあなたを占拠してしまっている、としたら?
現代のモラルや規律をつくりだしたのも、あなたではない。先人たちであり、くりかえし伝えるメディアがそれらをつくりだした。
そしてメディアの側でも、自分たちが伝える内容によって自らが染めあげられる、という現象がつづいている。
そもそも、常識とされるモラルになぜあなたがすっぽりはまらなくてはならない? どうして、日本人のモラルはそろって同じであり、同一人物のようになってしまったのかね?
昔の日本人は男が偉いといい、今の日本人は女が偉いという。そんなにコロコロと偉い人がかわるものかね? なにより、どうしてそんなに極端なのかね?
男が偉いといったり、女が偉いといったりするが、両者の意見は半々にはならないね。それとも、どちらかが一方的になることだけが正解かね?
男女のことだけじゃないよ。なんでもそうなんだ。
今の大量消費社会をみてごらんよ。
高いものを次々買うことが、今やステータスとなった。けれど、昔はそうでなかったね。節約に、ものを大切にすることが美徳とされた。
どちらにしても極端すぎることはないかね?
それにしても、やはりあなたがたは支配されているよ。
現代社会は、いびつな犯罪や事件が多発しているといわれている。
そうだとすれば、どのへんに問題があると思うね?
ほかでもない。それは大量消費社会ではなかったかね?
人の物欲とやらだよ。
物欲を満たすために、人々はたえまなく働き、金を稼がなければならない。昼も夜もなく、物欲の炎が燃えさかるかぎり、その分だけ働きつづける。そして、物欲に終わりがあるはずもない。
永遠の欲求は満たされることがなく、働きづくめ、金に負われてストレスばかりが募る。そういった土台があり、不幸が決定づけられ、ゆがんだ社会が誕生したのではなかったかね?
悲しいかな、あなたは物の虜となって、物に支配されたというわけだ。
もはやそこには、あなたなど存在しない。もっともっとの、物欲の連鎖を断たないかぎりあなたが回復する見込みはないだろう。
我々は、男か女かのどちらかである。でも、きっとそれは、もはやたいしたことじゃないよ。肝心なのは、支配されていることに気づかないことさ。それこそが問題なのかもしれないね。
椎名蘭太郎
カテゴリー: 男と女のシーソーゲーム-椎名蘭太郎-
男の世界は終焉したのか?それとも一時的なものなのか?人類が生まれ、男と女が存在し、何万年もの間繰り返してきた男と女のシーソーゲーム。椎名蘭太郎が語る男の精神解放と女の駆け引き、そして本当の男女のあり方。
[18]越えられた、シーソー
私の知りうるかぎり、男女は競い合っている。いや、男女が競い合っているというより、男の枠として生まれた者、あるいは女の枠として生まれた者が自分のために腐心している。
醜くはあるが、どうにかなるものでもない。自分で自分のことを素晴らしいとはさすがに言えなくとも、自分の性なら褒めることができる。あるいは、けなすことができる。男女の枠のことであれば、それが自分の損得であっても、他人のためと言える。
男女は、本当に仲良くなれるだろうか?
当然ながら、醜い争いの反対は、互いへの尊敬となる。男女の間でもそうなればそれにこしたことはないが、実現可能だろうか?
この問いは、世界に持続的な平和がおとずれるか否かの問いと同質のものだ。なぜ、こうも人類はあくなき戦争をつづけるのか? というものだ。
これは、しごく簡単だ。あくなき戦争をつづけるのではなく、人類が戦争を必要としているからつづいているだけのことだ。もし人類が戦争での学びを必要としなくなれば、戦争は意味がなくなるだろう。
ただし、そんなことを考える必要はない。あなたは、あなたのことだけを考えていればいい。だって、戦争だの世界平和だのということは、あなたの問題ではない。そんなことは放っておけばいい。
それより、あなたが戦争を必要としなくなったら、あなたの心に永遠の平和がおとずれるだろう。それだけのことなんだから。
が、実際はそうもいかないね。日本は戦争だらけだ。戦争とおなじエネルギーがつねに使われている。
犯罪者を裁くのをみたまえ。彼らは、被害者から復讐を受け、社会からは排除されている。これを戦争といわず、なにを戦争というね。
戦争を起こす根本はなにかね。その根っこはどこにあるね。
思想、宗教、反道徳、それに利害関係・・・。そして、人の醜いものを動かすより根本をさぐってみるのだ。
憎悪であり、復讐であり、貪欲さではなかったかね。戦争をつづけるためには、これらの負の連鎖なしには考えられない。肉親や友人、土地を奪われたことへの復讐がかかせない。それがなければ、長続きはしないものだよ。
犯罪者への裁きも、つかっているエネルギーはおなじものだよ。今の社会は、犯罪者を更生させようとするものでなく、単なる復讐だ。このことを忘れてはならないよ。
平和を乱すものとは利害であり、怒りであり、復讐であり、執着である。これらのエネルギーによって人が支配されないかぎり、持続的な争いには発展しないよ。が、あなたが許せば許すほど、受け入れれば受け入れるほど、平和はちかづいてくる。
イエス・キリストをみるといい。イエスは、自分を十字架にかけようとしていた者のためにさえ祝福をおくることができたと云われている。自分を殺そうとしている者のために、その最中に祈っていた。
考えてみてほしい。自分や自分の家族がどのような目に遭っても、ふかい慈悲につつまれる者を、どうして他者が不幸にすることができる? 誰が、かの者の意識を乱すことができるのか?
イエスの意識は、永遠の平和をえていた。そうであれば、もはや戦争の意味はなくなる。そうであれば、男女も尊敬しあえる。むしろ、それらはもう必要としなくなるのだ。
椎名蘭太郎