[09]おおいなる狂気

日本では、会社ではたらく三割の男が十二時間以上の労働であるという。これで連想するのは、イギリスの産業革命だ。当時の労働者階級は、過酷なあつかいで有名だった。むごたらしい環境に、たび重なる労働時間。まるで現代の日本の男のようだ。
それはどうしようもないことかね。そう、たしかに身分差別や奴隷制度にしても、昔は否定されるべきものではなかった。むしろ、それは的を射た考えかただと思われていた。そればかりではない。いつの時代も人々は、それはどうしようもない、と口をそろえる。時は移りかわろうとも、狂気の時代はつづいていく。差しあたり、現在は狂気の競争が世界をおおいつくしている、というべきだろうか。
じゃあ、どうしたらいい?なにができる?
男女の役割をみるといい。世間の風潮は、男も子育てや家の仕事にもっと参加すべきという。が、具体的な進展はない。そもそも男は、子育てをしたくともできる時間がない。一方、女は主婦になることも、仕事でキャリアを積むこともできる。望みさえすれば、二つのうちの一つを軸として選択することができる。また女は、仕事でキャリアを積む環境がととのっていないという。けれど、実際はそうではない。彼女たちは、はたらき蜂のように一生涯はたらくことを望んでいない。それだけのことだ。彼女たちが、フルでキャリアを積む覚悟があるなら、それを拒むなにがあるというのかね。が、男の場合は状況がことなる。彼らには選択幅がない。家庭を軸として選ぶことは認められていない。彼らは、競争のためのロボット戦士になる以外に選択幅がない。
人々は、どうしようもない、とぼやきつづける。が、本当にそうかね。そのまえに、あなたがたは粘りづよく主張したかね。戦後の日本は、ストやデモを起こして主張した。フランスの移民のみならず、先進各国の人々は今でもデモを起こしている。彼らは、主張しなければなにも変わらないことをよく知っている。
それとも、そんなに狂気の競争に遅れをとりたくないかね。いずれ世界は、とおからず競争に疲れはてる。極にかたむきすぎたシーソーは、もう一方に動かずにはいられない。むしろ、競争に支配される者を嘲笑えばいい。競争の虫より、バランスある時間の使いかたをしたほうが幸せになれるのに・・・。金と時間のバランスをだよ。そのためにも変わらなくてはならない。あらたなライフスタイルを確立させるのだ。
でなければ、あなたがたロボット戦士はうまく使われるだけだ。自分の意志で働くのならともかく、働くことを強要される。考えてもみなさい。派遣やアルバイトが増えたのは、いったいどういうことからかね?誰がそれを望んでいるのかね?企業が、都合によって派遣やアルバイトを要請するかぎり、低所得者が増えるのは避けられないよ。あなたがたは口をもたない、企業のロボット戦士というわけだ。
男女でも仕事でもおなじことだ。主張しなければ、消耗品となって使い捨てとなる。主張しなければ、変わるはずもない。
椎名蘭太郎

[08]敗者のジャレゴト

 男は、女を守らなければならないと言うが、あなたがたはいつからそんなに偉くなったのかね。
 なるほど。他人を守るという響きは、いかにも心地よさそうだ。立派なかんじがしないでもない。
それにしても、どうしてあなたがたは決めつけるのかね。状況はつねに動いているというのに、固まった概念が通用するとでもおもうのかね。
 それより、守りたいとおもったほうが、その時々で守ったのではダメかね。そちらのほうが、よほど自然ではなかったかね。固まった概念の強制は、負担にしかならないことを知らないはずがないだろうに。
 守るといえば、レディー・ファーストのことを知っているかね。レディー・ファーストの語源は、ヨーロッパの貴族にあると云われている。貴族の男が、身の危険をかんじたとき、レディー・ファーストを発動していた。毒見をさせるため、このさきが安全かどうか確かめさせるために女を行かせたのだ。
 大事なところを勘違いしてはいけないよ。問題なのは、レディー・ファーストの言語や意味なんかじゃない。シーソーの力関係を読みとる力だ。力関係によって、言語など簡単にすり替えられる。なにしろ言語は、人の道具でしかないんだから。
 だからレディー・ファーストは、女を守ること、優先することになったのだよ。
 男は、女を守るというが、本当にそんなことが可能かね。確かに、腕力のうえでは男のほうが強いだろう。でも、それ以外は?
 そんなものはない。外敵にたいして男が強くつくられていても、みずからの内にたいしては女が強くつくられている。
 もはや、外敵から身をまもる時代は終わったはずじゃなかったのかね。いったい男が、どこの獲物を追いかけ、城をおとしにいくというのかね。
 女は、長生きをする。ストレスにも強い。出血量にたいしても、男よりはるかにタフだ。女は子供を産むために、内面がタフにつくられたのだ。この内面の強さこそが、今の時代にもとめられる強さだ。
 時代は変わったのだよ。
 それでも、男は女を守るのかね。昔、男が守ることができたのは、男にそれだけの特権が与えられていただけのことだ。敗者となった現代の男が、どうやって他人を守れるかね。ルンペンが強がり、俺は金持ちだといってみせたところで、笑い話にしかなりやしないよ。
 男は、実をうしなっている。それでも、虚勢ばかりを吐いている。実のない虚にまみれるより、敗者は敗者として認めたほうが、よっぽど潔いとはおもわないかね。
椎名蘭太郎